大国民議会
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/01 08:45 UTC 版)
「国民議会 (ブルガリア)」の記事における「大国民議会」の解説
通常の国民議会に加えて、大国民議会(ブルガリア語: Велико народно събрание、ラテン文字転写: Veliko narodno sabranie)が招集されることがある。大国民議会では、新憲法の採択、基本的市民権に関する条項などの憲法の改正、共和国領の変動などについて議論がなされる。ブルガリア王国時代には、大国民議会は国王(ツァール)が成年に達していない場合に摂政を選任する権限を有していた。第1期および第3期大国民議会では、オスマン帝国から解放されブルガリア公国が成立したさいに、アレクサンダルとフェルディナントの2人の大公(クニャス)を選出した。 機関としての大国民議会は1879年のタルノヴォ憲法で導入され、1947年にいったん廃止されるが、1991年憲法で再導入された。ただこの間の憲法規定がそれぞれで異なっていたため、議員の構成もまたそれぞれで異なっていた。1991年憲法では、大国民議会は通常の国民議会とは異なり、400人の議員で構成される。1991年憲法は第7期大国民議会で採択されたものだが、この大国民議会の議員は200人が比例代表制で、またこれとは別の200人が小選挙区制でそれぞれ選出されていた。憲法では、大国民議会の選挙は通常の国民議会と同じ方法で行なうことが規定されている。また議案の可決には、それぞれ異なる日程で採決を3回行い、それぞれで3分の2以上の賛成を要する。大国民議会はまた通常の国民議会と同じ機能を有することもあり、急を要する場合には通常の立法を行なうことがある。選挙のさいに示された大国民議会の目的が終了すれば、大国民議会は解散し、大統領は通常の国民議会選挙の日程を定めることとなっている。 ブルガリアでは過去に7度の大国民議会が招集されているが、最近では1990年7月10日から1991年7月12日までに開かれた、現行憲法を採択したものがある。
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