現代の用例
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「象牙の塔」を現在では馴染みのある「世俗を離れた夢想家」という意味で使った最初の例は、フランスの文芸評論家で作家のシャルル=オーギュスタン・サント=ブーヴの1837年の詩「Pensées d'Août (Thoughts of August) 」に見ることができる。サント=ブーヴは「tour d'ivoire (象牙の塔) 」という言葉で、ヴィクトル・ユーゴーとは対照的に、社会との関わりの乏しいアルフレッド・ド・ヴィニーの詩人としての振る舞いを次のように示した。 Et Vigny, plus secret, Comme en sa tour d'ivoire, avant midi rentraitそして隠れたがるヴィニーは、象牙の塔に籠るかのように、正午前に撤退した —Charles-Augustin Saint-Beuve、Pensés d’Août 小説家ヘンリー・ジェイムズは、『象牙の塔』の執筆を開始した1941年のわずか2年後に死去し、未完成の作品となった。この作品では、ジェイムズ自身が20年振りのアメリカで自らが経験した落胆を、金ぴか時代の低俗な虚無感の中、帰国した気高い上層階級のアメリカ人へ及ぼした影響と重ね合わせて記述した。 アンドルー・ホッジスの執筆したケンブリッジ大学の科学者アラン・チューリングの伝記では、チューリングの1936-38年のプリンストン大学への滞在について考察し「大学院の塔はモードリン・カレッジの正確な複製であり、アイボリーソープ(英語版)を製造したプロクターのプリンストンの恩人のため、一般的にアイボリータワー (象牙の塔) と呼ばれていた。」と記述した。ウィリアム・クーパー・プロクターは、大学院建設の重要な支援者であり、メインのダイニングホールにはプロクターの名前が付けられている。また、オックスフォード大学とケンブリッジ大学のスカイライン、また、多くのアイビー・リーグの大学には、しばしば「アイボリータワー」と呼ばれる小塔や尖塔が点在している。 ランダル・ジャレルは、1942年のエッセイ「The End of the Line」の中で、現代詩が生き残るためには、詩人はエリート意識で造られた「象牙の塔」から降りなければならないと断言している。また、特にモダニズム時代の上質の詩が、他の文学作品の言及に過度に依存していたことを酷評し、ジャレルにとっては、象牙の塔が現代詩を廃れさせたものだとしている。 フィラデルフィアの大手紙であるフィラデルフィア・インクワイアラーの旧本社、アール・デコ建築のエルバーソン・ビルディング(英語版)と呼ばれる白い塔について、他紙の新聞記者は皮肉を込めて「真実の象牙の塔」であると言及した。
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現代の用例
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現代においては、政治などで選挙を戦と例え、それに負けた立候補者を落ち武者と呼び、その候補者が選挙期間中に選挙違反などを働いていたりして後日、検挙される場合を「落ち武者狩り」と呼ぶ場合がある。また、頭頂部のみ禿げていて、両サイドの髪を伸ばしている人の事を落ち武者と呼ぶ事もある。
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