独裁官 II
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/05 15:55 UTC 版)
「ルキウス・クィンクティウス・キンキナトゥス」の記事における「独裁官 II」の解説
紀元前444年に執政武官が新設されると、土地分配に加えて毎年執政官制とするか執政武官制とするかが争点に加わった。紀元前440年、天候不順と国内の不和によって深刻な飢饉が起こった。ミヌキウス・エスクィリヌスが食糧問題に取り組むプラエフェクトゥス・アンノナエ (市場長官)となり、まず陸海両路から食料を輸入しようとしたがうまくいかず、流通統制を行った。しかし食糧事情は改善せず、プレブスでティベリス川に身を投げる者が相次いだ。 そこで大富豪で騎士階級のスプリウス・マエリウス(英語版)は自費でエトルリアから食料を輸入して無償で人々に配った。リウィウスによると、彼は王位を狙っていたという。翌紀元前439年、ミヌキウスは引き続き食糧問題解決に取り組んでいたが、穀物商人からマエリウスの野望を知ることとなり元老院に報告した。元老院はなぜ未然に防げなかったのかと執政官クィンクティウス・バルバトゥスを責めたが、彼は執政官はウァレリウス法で定められた上訴によって制限を受けているため、その制限を受けない独裁官に兄弟のキンキナトゥスを指名する事を提案した。80歳を越えていたキンキナトゥスは高齢を理由に固辞したが、元老院は彼の高潔さと勇気を賛辞してバルバトゥスと共に重ねて要請したため、彼は指名を受諾すると副官にガイウス・セルウィリウス・アハラ(英語版)を指名した。 翌日、フォルムに入場した物々しい独裁官の姿に人々は驚いた。アハラはマエリウスに出頭を命じたが、彼は危機を察して逃げ出した。貴族の陰謀だと叫ぶマエリウスに追いついたアハラは彼を斬り殺してしまい、キンキナトゥスには出頭命令に抵抗したため殺害した事を報告したが、独裁官は国家を救ったと賞賛した。事情を知らない人々は動揺していたため、彼らを集めるとキンキナトゥスはこう説明した。マエリウスは独裁官命令に従わなかったため死刑となった。私は弁明を聞く用意があったが、彼は無理矢理逃げようとした。その昔、王権が打倒された事を皆は知っていると思う。ブルトゥスは共和政を守るため我が子を処刑した。コッラティヌスはローマを退去した。カッシウスや十人委員会の最期も知っていよう。このローマで王位を狙う者は畢竟こうなるのだ。マエリウスは諸君を麦で買収しそれを狙った。彼の資産は没収して国庫に納める事とする。 マエリウスの家は直ちに取り壊され、戒めとするため更地のまま残された。市場長官のミヌキウスは没収した穀物を安価で人々に配給したため雄牛が贈られた。護民官はマエリウス殺害の不当を訴え翌年の執政武官制を勝ち取ったものの、選出された執政武官は3名だけで、キンキナトゥスの息子を含めた全員がパトリキであったという。
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