独裁官就任
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/29 13:26 UTC 版)
「マニウス・ウァレリウス・マクシムス」の記事における「独裁官就任」の解説
紀元前509年の共和政樹立以来、パトリキ(貴族)とプレブス(平民)の対立が続いていたが、紀元前494年にはプレブス達がローマ市内を離れモンテ・サクロに立て篭もる事態となった。これを見たウォルスキ、サビニおよびアエクイはローマに対して武器をとった。この危機と政治的な問題に対処するため、ローマ元老院はウァレリウスを独裁官に選出した。彼が選ばれた理由はその中庸な性格であったと言われる。既に死去してはいたが、彼の兄弟であるプブリウス・ウァレリウス・プブリコラ(紀元前503年没)の人気もあったため、ウァレリウスの独裁官就任は市民に歓迎された。
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