ミヌキウス元老院から賞賛される
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「ゲロニウムの戦い」の記事における「ミヌキウス元老院から賞賛される」の解説
ハンニバルと彼のカルタゴ軍は、優越した指揮官、優越した機動性を持って、紀元前218年には連続して3つの戦いでローマ軍を撃破した。この敗北の恐怖から、ファビウスはカルタゴ軍との会戦を避け、アゲル・フレルヌスではカルタゴ軍を罠にかけることに成功したものの、またもやローマ軍は翻弄された。カルタゴ軍はイタリア半島内を略奪して、自身のポケットを満たしていた。このような中、大規模な会戦ではないとは言え、ミヌキウスがハンニバルを打ち負かし撤退させたことを、ローマ人は大勝利と歓迎した。ファビウスが率いるローマ軍はカルタゴ軍を追尾すること以外ほとんど何もできなかったのに対し、同じ軍をミヌキウスが指揮してハンニバルを退却させたのである。元老院はミヌキウスの功績に報いる方法を考えた。 ローマの政治的伝統では、その任期中に独裁官を解任することはできなかった。しかしながら、ファビウスは通常とは異なり元老院によって独裁官に選ばれていたため、元老院はファビウスの権限を縮小する手段を講じた。メテルスという名の法務官(プラエトル) 、またはガイウス・テレンティウス・ウァロ(翌年の執政官)が、ミヌキウスをファビウスと同等の地位に昇進させることを提案した。この提案は受理され、歴史上初めて2人の独裁官が同時に存在することとなった。現実的には独裁官の権限は執政官と同じに低下したのである。軍に戻ったファビウスは、それぞれの独裁官が交互に軍の指揮をとるか、あるいは軍を2つに分けることを提案した。ミヌキウスは軍の分割を選び、第II軍団と第III軍団および同盟国2個軍団がミヌキウスの指揮下となり、ファビウスの野営地とは別の場所に自身の野営地を設営したが、おそらくこの場所は以前のハンニバルの臨時野営地であったと思われる。
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