犯行計画・準備行為に関する審理
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/19 05:33 UTC 版)
「別府3億円保険金殺人事件」の記事における「犯行計画・準備行為に関する審理」の解説
1977年(昭和52年)1月25日の第21回公判から2月21日の第23回公判にかけて、荒木から犯行計画を聞いたという宮崎刑務所での荒木の同房者Tに対する尋問が行われた。Tによれば、宮崎刑務所に服役中に荒木からエドワード・ケネディの交通事故の載った週刊誌を見せられ、出所後の1974年(昭和49年)7月18日に荒木の部屋を訪ねた際に同じ話をされたのに加えて、結婚し、保険をかけて、海に飛び込むという犯行計画を聞かされたという。Tはその後も何度か荒木と会ったが、9月3日に詐欺罪で逮捕され、9月19日に起訴。その後も余罪で追起訴を受けつつ、1975年(昭和50年)8月に懲役2年6カ月の実刑判決を受け、この公判時も服役中であった。この証言に対して弁護人は、供述調書の作成された1974年(昭和49年)12月22日はTが余罪を追及されていた時期にあたり、余罪を不問にすることとの取引で検事に迎合する供述をした可能性があり、証言の任意性に疑問があると指摘。荒木自身も、Tのこれまでの前科をあげてTは信用できない人物であるとし、「法廷でうそを言うなよ!このチンコロ!」、「裁判長、こんな懲役太郎のいうことをまさか信用するんじゃないでしょうね」などとTを罵倒した。Tも激昂して応じたため、法廷には怒号が飛び交った。 5月20日の第26回公判には、別の元同房者Sが出廷した。Sも荒木から犯行計画を聞いたと2年前に検察官に対して供述していた。供述によると、荒木は宮崎刑務所に服役中に「刑務所を出たら、一発勝負をかける。小さなことで何度も刑務所に入れられるより、大きく儲けねばつまらん。」などと語っており、1974年(昭和49年)3月末か4月には荒木の部屋で具体的な保険金詐欺の計画を持ちかけられ、「読んだら焼き捨ててくれ」と計画のメモを渡されたが、Sは「そんなことに加勢出来ない」と断り連絡を絶ったという。ところが、公判では供述を全面的に翻し、2年前に話した内容は「取調官に迎合して創作した」と証言した。荒木はすかさず「『創作だ』と言ったんですね。ありがとう、S君。本当のことを言ってくれて……。」と応じた。 1978年(昭和53年)5月11日の第39回公判には、第一生命保険の元大分支社長が呼ばれた。元支社長は、荒木の加入していた保険の加入状況・内容・金額などについて問われ、一家の中心とは言えない妻子に高額の保険を短期間に各社に分散して契約していること、保険金額は年収の5倍から災害死亡でも10倍程度が適当であること、この契約であれば資産数億円・年収数千万円以上の者が相続税の準備として加入するのならば妥当だが被告人の経済力は低すぎることなどから、異常な契約といわざるをえないと証言した。これに対して荒木が被告人として自ら反対尋問をおこなった。荒木は、約款に「殺人とハッキリきまったときは支払わないでよろしいが、わからないあいだ支払わないでよろしいという条項はない」などとして、元支店長の証言は「何とかして、保険金の支払いを免れようとする工作の一つ」と主張した。
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