物語の原型
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/29 14:51 UTC 版)
1936年にヘミングウェイは『エスクァイア』誌に「青い海で(On the Blue Water):メキシコ湾流便り」と題して、巨大なカジキを捕らえたキューバの老漁師について次のような記事を寄せていた。 老人はただ一人、小舟に乗ってメキシコ湾流の中で彼らと闘い……やがては疲れ果てて、サメたちは食えるだけみんなたいらげてしまった。老人は漁師たちが彼を助け上げたとき、自分の損失に半狂乱になって舟の中で泣いていたが、サメはあいかわらず船の周りを泳ぎ回っていた。 このわずか200語ほどのきわめて短い物語が『老人と海』の原型だとされている。3年後の1939年2月には、ヘミングウェイはスクリブナー社の編集者であったマックス・パーキンズに、ハバナ近くのカサブランカという漁師の集まるところに住み着いている老漁夫の小説でも書こうと思っていると話していた。 この記事と『老人と海』とは多くの点で一致しているが、『老人と海』では、老人が不漁続きであったことや老人の生命観、最後まで涙一つこぼさずに自力で寄港したことなどが付加されている。作者の創造が反映されたサンチャゴ老人のリアクションは記事の老漁師とは対照的なふるまいとなっている。とくに大きな違いはその終わり方であり、全く別物といえるものになっている。この記事の老漁夫は泣いて敗北を認めたが、『老人と海』の老人は敗れざる者として描かれており、ここにはヘミングウェイの生きることへの信念が凝縮されている。 また、ヘミングウェイは元来魚釣りを好み、興味が高じてこれより以前に「ピラール号」という漁船を自ら建造させ、キーウェスト沖で468ポンドに及ぶカジキを捕獲したり、ビミニ諸島近くで素人釣りとしては最大であろうと言われた310ポンドのマグロを釣り上げたりしていた。餌にかかった魚がときどきサメに食われるために、サメを殺すための特別な槍のようなものを作ったりもしており、物語にはこれらの体験が投影されている。
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