片倉小十郎景綱とは? わかりやすく解説

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片倉景綱

(片倉小十郎景綱 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/11 10:20 UTC 版)

片倉 景綱(かたくら かげつな)は、戦国時代から江戸時代前期にかけての武将伊達家の家臣。伊達政宗の近習となり、のち軍師的役割を務めたとされる。仙台藩片倉氏の初代で、景綱の通称小十郎(こじゅうろう)は代々の当主が踏襲して名乗るようになった。兜は、神符八日月前立筋兜。


  1. ^ 景綱には生前または没後すぐに制作された肖像および肖像画はない。最古の肖像画(凡例参照)は明治時代に描かれた仙台市博物館所蔵の物である。景綱が着用した甲冑は、この肖像が描かれた時点で一つも現存していなかったため、想像上のものである。
  2. ^ 伊達政宗は、八幡神社への信仰が篤かったらしく、米沢から岩出山へ移る際に、この成島八幡宮を分霊し、岩出山城内に祀る。後に、政宗は仙台開府にあたって、総鎮守として大崎八幡宮を創建し、大崎地方にあった大崎八幡宮と米沢から分霊してきた成島八幡宮を合祀する。
  1. ^ 『白石市史 第4巻史料篇上』P30
  2. ^ 垣内和孝「伊達政宗の家督相続と蘆名氏」(初出:(『日本歴史』806号、2015年)/のちに垣内和孝『伊達政宗と南奥の戦国時代』(吉川弘文館、2017年) ISBN 978-4-642-02938-4) P57に収める
  3. ^ 田尻佐 編『贈位諸賢伝 増補版 上』(近藤出版社、1975年)特旨贈位年表 p.56


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片倉小十郎景綱

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/17 08:52 UTC 版)

独眼龍改」の記事における「片倉小十郎景綱」の解説

政宗傅役務め股肱之臣。女性見紛うほどの優男で、常に敬語崩さない戦闘には刀と十文字槍使用する

※この「片倉小十郎景綱」の解説は、「独眼龍改」の解説の一部です。
「片倉小十郎景綱」を含む「独眼龍改」の記事については、「独眼龍改」の概要を参照ください。

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