片倉景貞とは? わかりやすく解説

片倉景貞

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/08/10 14:42 UTC 版)

ナビゲーションに移動 検索に移動

片倉 景貞(かたくら かげさだ、安永4年(1775年) - 天保11年9月9日1840年10月4日))は、江戸時代後期の伊達家重臣。白石片倉家第10代当主。

父は片倉村典。子は片倉宗景。幼名は三之助。通称は讃岐、小十郎。号は大弼。俳号は鬼孫。

略歴

安永4年(1775年)、白石片倉家第9代当主片倉村典の長男として生まれる。文化12年(1815年)、病のため奉行職(家老)を辞職した父に代わって奉行職となる。文化14年(1817年)、父の隠居により家督相続する。翌文政元年(1818年)、病を理由に家督を嫡男の宗景に譲り、大弼と号して常盤崎の別邸で隠居する[注釈 1]。父と同じく俳人松窓乙二(岩間乙二)に師事し、俳号を鬼孫と名乗った。文政6年(1823年)、師乙二の俳句集「松窓句集」を編纂する。天保11年(1840年)9月9日没。墓所は宮城県白石市の片倉家廟所。

脚注

[ヘルプ]
  1. ^ この頃の片倉氏は、家督継承時に主君の伊達家(仙台藩主)から一字拝領をする慣習があったが、当主であった期間がわずか1年ほどであった景貞は偏諱の授与を受けなかった。

参考文献





固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「片倉景貞」の関連用語

片倉景貞のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



片倉景貞のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの片倉景貞 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS