無の境地と天の理について
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/06 21:31 UTC 版)
「YAKSA -ヤシャ-」の記事における「無の境地と天の理について」の解説
この作品において「無の境地」とは、魂を解き放ち「己でないものをなくす」ということであり、ガゴゼは世のすべてと同化することが可能となっている。「風が吹けば桶屋が儲かる」のことわざのように、些細な何事かを発端に、想像もつかない現象が起こることがあるが、ガゴゼは意図的に「発端」を作り、自分の思うような結果を生むことができる。 自分と対決できる強者を作るために、一人の女を犯してその子供を生ませる。妊娠させ、自分とそっくりの鬼の様な形相をした男児が生まれ、自分を恨み自分を殺しに来る、という状況をガゴゼは意図的に作り出した。直接手をくだすわけではなく、何かのきっかけを作ることにより、通常なら意図的には起こせない結果(ガゴゼと対決できる強者を生み出すということ)を確実に生み出すことができる。ヤシャがすぐには自分に辿り着かないよう情報を制限するなどし、様々な手段でヤシャが強くなるよう仕向け、最終的にヤシャを(始めから十分強かったが)自分と対等に戦えるところまで腕を上げさせた。 リレイド(後のガゴゼ)が「剣に裏切られた」というのは、天の理を手にしたリレイドにとって、剣の勝負に勝つための答えが戦う前に判ってしまうことだった。どのような軌跡で刀を振り、どのような力を入れれば勝てるという答えが既にわかってしまうため、リレイドの体は命令されたことを実行するだけのものとなり、勝負の勝ちが確定してしまっている。また、失望する際にリレイドは「ただ木偶のように剣を振るだけ」と表現している。剣の勝負というものに人生を捧げてきたリレイドにとって「勝負の結果が決まっている(既に勝負というものが成立していない)ため、感動というものがない」「自分が勝負に勝つという仮定において関われない」というのは耐え難い現実だった。 作品の結末から、ガゴゼ以外のキャラが無の境地を会得したか否かは不明である。自分のように無の境地を会得した相手と戦えば、勝負は互角になり得るかもしれない、と思ったガゴゼは他の人間が無の境地を会得することを望んだ。しかし、ガゴゼ自身が「現象を変えるのは人の意志の力」と述べており、強い意志を持った人間がガゴゼを打ち負かすこともあるかもしれない。例えば、ヤシャがガゴゼと初めて対面した際に、(ヤシャの死に際にガゴゼから「いくのか?」と問われ、別れを告げたことに対し※第6巻)「なぜ生きて戻ったのか知らぬが」と発言しているが、ヤシャのソーニャに対する想いがガゴゼの想定した結果を変えたともとれる。すなわち、作中の世界での「理(ことわり)」は、人の強い意志が現象を変える可能性があるということである。 この項目は、漫画に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:漫画/PJ漫画/PJ漫画雑誌)。項目が漫画家・漫画原作者の場合には{{Manga-artist-stub}}を貼り付けてください。
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