海驢島灯台
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/04 10:36 UTC 版)
島西部の高台にある灯台。1959年11月27日に開設。白と黒の2色で塗られた灯台である。1961年に島を訪れた本多勝一は島の「観光的事物」はこの灯台くらいであったと述べており、翌1962年に島を訪れた串田孫一や1997年に島を訪れた本木修次はこの灯台に登っている。灯台の壁には2枚のプレートが埋め込まれており、そのうちの一つには「海馬島灯台」とのみあるが、もう一つのプレートには「海驢島灯台 初点 昭和三四年十一月 改築 平成元年十月」と記されている。 海上保安庁水路部による1962年発行の『礼文島及諸分図』では、灯質は3秒に1閃光、灯火標高54メートル、光達距離16海里としている。1972年刊行の『礼文町史』では、灯質「閃紅3秒」、光度1000カンデラ、光達距離13海里としている。1973年には、光源が道内で3番目にアセチレンガス灯から太陽電池点灯に代えられた。1995年刊行の『灯台ミニガイド 北海道編』では光達距離を16.5海里とし「単閃白光毎3秒に1閃光」とある。2009年7月21日には光達距離が9海里から7海里に短縮された。 周辺の海域は座礁事故の多発地帯であり、古くはランプが灯台代わりに用いられていたという。船泊郷土民謡研究会が1946年8月に発表した『弥栄節』には「すことん岬の かもめの願ひ 早く灯台 海馬島へ」との一節があり、船泊村編『郷土』(1953年)に収録された都々逸にも「礼文(しま)の娘の切ない願い 早く灯台 トド島に」との一節が見える。建設工事には地元の漁師も参加した。なお、2001年4月の叙勲では、43年間灯台の監視を担当し続けている男性に勲六等瑞宝章が授与されている。この男性はスコトントマリ在住の漁師であり、島外への出稼ぎのため不在となる冬季には妻が代わりを務めていたという。
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