海岸の後退と砂浜
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/22 06:38 UTC 版)
砂浜海岸である九十九里浜の天然の砂浜は、古代の香取海、現在の利根川河口から流出した土砂や、九十九里平野の東側に隣接する海食崖である屏風ヶ浦等が侵食されて削り出された土砂が潮流によって運ばれて堆積したものである。屏風ヶ浦は砂岩質の土壌の上に火山灰が堆積して形成された脆く崩れやすい地質で、こうした侵食によって有史以降だけ見ても数キロメートルにわたって後退してきたと推測される。なお、有史以前の丸木舟の出土例は80を数えるが、出土地点は現在の栗山川とその支流借当川流域の、旧椿海周辺の海抜4メートル前後の地点に集中しており、当時海岸であったことがわかる。 縄文海進以降、海岸が後退し陸地が作られ地表面には当時の堆積物の痕跡が見られる。海浜堆積物から求めた過去6000年間の相対的海水準変動と隆起の解析から、この地域では1回の隆起変異量が40〜120センチメートルといった現象を少なくとも4回記録している。隆起の原因としては地震が考えられるが、地震の発生年代は特定されていない。平安時代から鎌倉時代にあたる西暦800年〜1300年、史料に記載がないものの、房総半島沖でマグニチュード8.5程度の地震が起き、九十九里浜一帯が大津波に襲われたことが、津波堆積物調査により判明している。また、江戸時代には、延宝5年(1677年)に「延宝房総沖地震」と元禄16年(1703年)にも「元禄地震」が起き津波が押し寄せた。 九十九里浜では、有史以降一貫して海岸線が後退してきたが、現在は海岸線の後退はほぼ停止し、むしろ砂浜の減少すらみられる。堆積土砂の供給源である利根川の河川改修の結果流下する土砂が減少し、消波ブロックの設置により土砂の供給と堆積が失われ、海岸侵食が深刻な問題となっている。養浜対策として突堤等を設置し、土砂流出を少しでも抑えようとしているが、抜本的解決には至っていない。
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