海客・山客・胎果
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/27 01:31 UTC 版)
蓬莱・崑崙から、蝕によって十二国世界に流されてきた人間を、海客(かいきゃく)または山客(さんきゃく)と言う。姿は十二国世界の人間と非常に似通っているが、十二国世界の人間とは本質的に異質な存在である。また、海客・山客の中には、胎果(たいか)と呼ばれる存在もいる。 海客や山客は仙になるか、十二国世界の言語を習得しない限り言葉が通じない。壁落人によれば、神仙以外は胎果といえども同じだという。初歩的な中国語の知識のあった東大生の壁落人は最初はかろうじて筆談が出来るため十二国世界の人間と意思の疎通が出来、十二国の言語を覚えることが出来たが、松山老人は十二国に来て半世紀たってもほとんど言葉がわからないまま生活していた。 海客や山客の扱いは大綱に定めが無いため、どう扱うかは各国の政策にゆだねられている。多くの国ではおおむね浮民と同じ扱いであるが、雁・奏・漣等では紙・印刷技術・陶磁器・医術といった有用な技術をもたらすとされているため優遇されている。中でも雁では、海客は役所に届ければ海客としての身分証明書を与えられ、それを使って界身から一定の生活費や商売の元手の融資を受け取る事や、公共の学校や病院を利用する事が出来る。雁では海客がこのように優遇されているため海客でないのに海客を名乗る偽物もいるらしく、郵便番号や市外局番を聞かれて本物(の日本人)かどうかを確かめられる。逆に、巧では海客がやってきた時の蝕で被害が出たかどうかによって「良い海客」と「悪い海客」に分けられ、悪い海客(事実上ほとんどの海客)は「国を滅ぼす」として処刑されることになる。 海客 蓬莱(日本)から来た人間を海客と呼ぶ。海客は虚海の岸にたどり着くとされている。海客が最も多くやってくるのは慶、次いで雁、次いで巧である。触に巻き込まれ、また海を流されてくるため、生きてたどり着く海客よりも死体で漂着するほうが多い。生きてたどり着く海客は、巧で3年に1人程度である。 山客 崑崙(中国)から来た人間を山客と呼ぶ。山客は金剛山の麓にたどり着くとされている。芳国では山客によって仏教がもたらされており、その影響で祠廟が寺院風である。 胎果 本来は十二国に生まれるはずだった人間が、誤って卵果(後述)のときに蓬莱・崑崙に流され、女性の胎内に宿ることがある。胎果とは、そのまま誕生し、蓬莱や崑崙の人間として生きていた人々が、本来生まれる場所であった十二国世界に戻ってきた場合の総称である。広い意味で海客・山客の一種であり、いわば「特殊な海客・山客」である。 王や麒麟のように十二国に不可欠な存在でない限り、捜索して連れ戻されることがなく、再び蝕に遭遇しなければ日本や中国で普通の人間として一生を終えることになる。胎果は蓬莱や崑崙にいる間は胎殻(たいかく)と呼ばれる殻をかぶり父母や親戚に似た容姿をしているが、十二国に戻れば本来の姿に戻るとされている。実際、十二国にやってきた後の陽子は肌・髪・瞳の色が変化し、ほぼ別人相になっていた。 十二国世界では人と麒麟の卵果は十月十日で孵るのだが、泰麒の年齢から、胎果は流されてすぐ母親から出産されていると考えられる。 作中で明言されている胎果は、景王赤子(中嶋陽子)・延王尚隆(小松三郎尚隆)・延麒六太(六太)・泰麒蒿里(高里要)の4人である。
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