海外における評価
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/07/26 07:29 UTC 版)
「Dio Kobayashi」の記事における「海外における評価」の解説
1997年インターナショナル・トップ・エンターテイナー・ツアー」の日本代表に推挙されアメリカで開かれた世界大会の大舞台に立つ。 2000年、サンフランシスコのサーカススクールに日本人として初めて入学を果たした。多種ジャンルのパフォーマンスを幅広くこなすDioは、サーカスのピンチヒッター要員として台湾の哈哈雑技団、カナダのシルクドソレイユ社の作品、ロシアのマーシリコ(サーカス団)などメジャーな団体からの誘いも多く多数参加。当初通訳を要していた英会話に関しても猛勉強が功を奏し現在では殆どの会話を自らこなしている(海外での活躍や大学での英語学習の様子は「BIG tomorrow9月号特集」に掲載中)。Kinosukeとして演じられる和装のパフォーマンスは忍者や芸者のイメージがとても強かったアメリカ人にとって新鮮かつ馴染みやすいものであったことから、演出を加えられることなくそのままのスタイルでサーカスやテレビ番組などのステージに取り入れられている。2000年当時、米国における知名度が最も高い日本人サーカスプレーヤーの一人であった。また日本人初のエンターテイメントサーカスプレーヤーと言える。「子供たちの夢と笑顔をいつまでも」をテーマにボランティア活動に積極的に取り組む。ボランティア団体「ピエロファクトリー」を設立しタイの孤児施設、アメリカの小学校、日本国内の幼稚園、保育所などを訪問しサーカスパフォーマンスの上演や施設イベントへの協力を行う。 2008年2月中頃から3月初旬かけてオーストラリアのメルボルンとイタリアのローマでサーカス学校の生徒を対象に『サーカスにおけるステージ心理学』というテーマで講義を行う。 2008年彼のこれまでの海外での功績が認められEuropean Circus Associationのメンバーとなる。日本人では木下サーカスに続く歴代2人目で、サーカスを持たないフリーランスのパフォーマーとしては日本人初となり、海外でも数少ない中の1人。 2010年新鋭サーカスパフォーマーの登竜門として有名なサーカスの国際コンテストYOUNG STAGE(スイス)にバックステージマネージャーとして参加。
※この「海外における評価」の解説は、「Dio Kobayashi」の解説の一部です。
「海外における評価」を含む「Dio Kobayashi」の記事については、「Dio Kobayashi」の概要を参照ください。
- 海外における評価のページへのリンク