沖縄のウリミバエ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/13 07:19 UTC 版)
日本では、沖縄のウリミバエに対してこの方法が行われ、成功を収めている。ウリミバエは腰がくびれ、一見ハチのように見える1cm足らずのミバエで、キュウリやゴーヤーなどウリ類を中心とした果実に親が産卵し、幼虫は果実の内部を食い荒らす。もともと日本にはいなかったが、台湾から侵入したらしく、20世紀初頭に八重山で見つかり、1970年には沖縄本島周辺の離島である久米島で発見された。このため、沖縄からはウリ類などの本土への出荷ができず、また、このままでは本土への侵入も懸念されることから、復帰記念事業の一つとして久米島でのウリミバエの不妊虫法飼法による根絶が行われることになった。なお、ウリミバエは次第に北上して1980年頃には奄美群島を含む琉球列島全域に見られるようになった。 この事業の興味深いところは、当初から伊藤嘉昭らの個体群生態学者が計画に深く関わり、綿密な生態学的データの収集による調査結果の検討と、根絶事業が同時進行的に進められたことで、そのためさまざまな記録や学術論文が残されている。伊藤はこれについて、上記のようにこの方法での対象根絶の失敗例が多いこと、しかもそれらに生態学者の検討が入っていないために失敗の理由や原因も示されていないことを挙げ、そう言った方面の検討を行いながら事業を進める必要性を述べている。 久米島での根絶事業は1972年に始まり、1977年に農林省から「根絶に成功した」との発表が行われた。この間に放飼したハエの数は約3億匹に上る。那覇市に不妊ウリミバエの生産工場が造られ、最高で週に200万匹を生産、送り出した。ちなみに久米島の面積は約60平方キロ、ウリミバエは作物だけでなく野生の果実にも付く。事業開始当初のウリミバエの雄の個体数は、さまざまな調査の結果、11月下旬に最も多く、このときの個体数は1ヘクタールあたり650匹、島全体では250万匹という推定値が出ている。ちなみに、生まれてくる個体数はもっと多く、約4倍と見積もられている。 久米島に続いて、規模の小さい宮古群島での根絶事業が行われた。その後に沖縄本島の根絶事業が始まった。第1弾として雄を誘引する薬剤による駆除が行われ、これによって個体数を減少させ、それから不妊虫放飼にかかる段取りである。沖縄本島では1986年に実際の作業が始まり、1990年、根絶の成功が発表された。最後の八重山諸島では、1993年に根絶が確認された。 全事業に要した費用は169億6400万円、この間に放飼されたハエの数は約530億7743万匹に上る。
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