欧米におけるジャポニズムと日本庭園とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > 欧米におけるジャポニズムと日本庭園の意味・解説 

欧米におけるジャポニズムと日本庭園

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/15 19:06 UTC 版)

日本国外の日本庭園」の記事における「欧米におけるジャポニズムと日本庭園」の解説

19世紀後半ヨーロッパで日本浮世絵収集からジャポニスム始まった近代国際関係参入した日本は、国際博覧会への出品に際して欧米人が抱く「日本」へ憧憬自己演出することで応えた博覧会における日本イメージ戦略は、欧米における日本ブーム大きな契機となった日本庭園は、その重要な触媒のひとつであった1867年パリ万国博覧会は、日本江戸幕府薩摩藩佐賀藩)が初参加した万博であった日本は清・シャムとともに3ヶ国でひとつの展示スペース割り当てられた。江戸商人清水卯三郎パビリオン茶屋仕立て柳橋芸者接待をさせて評判集めたヨーロッパにおいて本格的な日本庭園初め造営されたのはウィーン万国博覧会1873年)である。この万博は、明治政府がはじめて参加した万博であった松尾兵衛山添喜三郎らが日本から派遣され日本庭園造営し白木鳥居神殿神楽堂太鼓橋などが建設され、池には錦鯉放たれた。庭園完成万博会期開始以後ずれ込んだが、皇帝フランツ・ヨーゼフ1世皇后エリーザベト来場して太鼓橋渡り初めを行うなど注目集め会期後イギリス商社庭園建物をはじめ木や石をすべて買いあげた。 日本憧憬抱いていたクロード・モネは、ジヴェルニー自宅の庭に池を造り(「睡蓮の庭」)、1895年には日本イメージした太鼓橋(「日本の橋Le Pont Japonais)をけた。このように欧米では邸宅の庭や公共公園一角日本風庭園造られるようになった欧米人日本庭園への関心応えるため、ジョサイア・コンドルの“Landscape Gardening in Japan”(1893年)をはじめ、日本庭園に関する書籍出版された。 福原成雄はタットン・パーク(1913年)について、書籍通じて日本庭園に関する知識得たイギリス人が自ら庭園設計した事例であると考察している。ほかに、現地作庭家による作品シェーンブルン宮殿日本庭園1913年)などがある。こうした作品中には異文化趣味としての「日本」のイメージ反映したものも多く鳥居装飾的な使用中国との混同など、日本文化知識を持つものからは違和感をもって迎えられるものもある。 19世紀末から20世紀初頭にかけてヨーロッパで活動した日本人庭師には、パリ万国博覧会(1889年)に際してフランス渡った畑和助らがいる。北米では、ブッチャート・ガーデン造園携わった岸田伊三郎らが活動した

※この「欧米におけるジャポニズムと日本庭園」の解説は、「日本国外の日本庭園」の解説の一部です。
「欧米におけるジャポニズムと日本庭園」を含む「日本国外の日本庭園」の記事については、「日本国外の日本庭園」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「欧米におけるジャポニズムと日本庭園」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「欧米におけるジャポニズムと日本庭園」の関連用語

欧米におけるジャポニズムと日本庭園のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



欧米におけるジャポニズムと日本庭園のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの日本国外の日本庭園 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS