欧米におけるモスリン
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/17 03:07 UTC 版)
モースル産の絹織物は古くから有名であったが、これとモスリンに直接の関係はない。17世紀にイギリス東インド会社やオランダ東インド会社等によって、インド亜大陸のダッカ(現バングラデシュ)等で産出される、白く柔らかい平織の綿織物がヨーロッパにもたらされると、これがムスリンやモスリンと呼ばれるようになった。次第にヨーロッパの織物工場でも模倣した布地が産出されるようになり、木綿が安価に供給されるようになったこともあって、次第に麻織物にとってかわっていった。 モスリンは、はじめはペチコートやエプロン、カーチーフ等に用いられ、またルソーの影響下に子供の服飾に適切な生地として推奨された。1770年代頃よりイギリスやフランスで田園風のスタイルとして白いモスリン製のシュミーズドレスが流行し、世紀末から19世紀初頭には新古典主義ドレスに発展した。モスリンドレスの流行は1825年頃には收束したが、それ以降も若い女性や子供の服飾生地としてモスリンは好まれた。20世紀初頭にはモスリンを含む綿製ドレスの再流行があり、モスリンの一種もしくは類似するものとしてモール (mull) やネーンスック(英語版)、オーガンジー(英語版)等が多用されるようになった。
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