横井商店開業
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上京後、英樹に改名。東京日本橋のメリヤス問屋「渡辺商会」へ丁稚奉公。1930年(昭和5年)3月10日、独立し「横井商店」を開業。17歳のときであった。1942年(昭和17年)、29歳のとき、第二次世界大戦をきっかけにボロ儲けのチャンスを得る。それまで経営していた繊維問屋をたたみ、軍需品の製造に専念することになる。「横井商店」を「横井産業」に変更し陸海軍、軍需省の管理会社として全国各地に工場を建設し3000人の職員を擁するまでになった。横井は海軍中将にうまく取り入り御用商人となった。 戦争で南方に行く海軍陸戦隊の防暑服の製造を一手に引き受けた。また現地で接収してきた電動ミシンを何百台と手に入れた。大宮の工場で女学生を勤労動員させ、接収した電動ミシンを使い防暑服を大量生産をした。これで横井は人生最初の大儲けをし、いわゆる戦争成金となった。終戦後は連合国軍御用工場となるが、繊維業界が先細りとなることを察知し全工場を閉鎖させた。横井は不動産の暴騰を見越し不動産業に乗り出す。 横井は鎌倉、熱海、軽井沢 (梨本伊都子の回想によると旧梨本宮の別荘のみならず車も買い取り、宮家の紋章をつけたまま乗り回していたという)、箱根の土地を買いあさり、銀座のビルをも買収した。横井の土地の買い方は全て5年月賦で支払い、払い終わる前に土地の値段が暴騰し、資産は20億円以上になっていた。この資金が白木屋買収の足掛かりとなった。
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