様式、意匠
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/19 06:44 UTC 版)
尾澤醫院兼住宅は、陸屋根を持つ2階建ての洋館であり、屋上に見える塔屋や、張り出したベイウィンドウなど、凹凸のある構成が特徴的である。1階の窓台から上の外壁にはリシン掻き落とし仕上げが施されるとともに、その上には緑色の釉薬洋瓦が載せられており、内玄関の側面には丸窓がみられるなど、スパニッシュ様式の特徴を備えている。なお、スパニッシュ様式の建築では半円アーチの開口部が設けられることが多いが、尾澤醫院兼住宅の車寄せには尖頭アーチが用いられており、珍しい点の一つとして挙げられる。 一方で、車寄せの台座にはスクラッチタイルが用いられ、アールデコ調の文様が施された格子が見受けられるなど、アール・デコの建築様式の特徴も兼ね備えている。なお、アール・デコの建築は鉄筋コンクリート構造であることが一般的だが、尾澤醫院兼住宅は木構造が採用されていることも珍しい点の一つとして挙げられる。 さらに、2階には三角柱状の張り出した窓がみられるが、これらは幾何学的造形が志向されていた創建当時の流行を取り入れていると考えられる。また、それとは別に、2階には連続する外開き窓も見受けられるが、これはライト風建築の影響を受けていると考えられる。 このように、尾澤醫院兼住宅においては、大正年間から昭和初期にかけて流行していた多様なスタイルや仕様が混然一体となっている。個々のスタイルや仕様については、近隣の他の建築物においても確認できる。たとえば、尾澤醫院兼住宅が立地する東京都世田谷区においては、スパニッシュ様式を用いたK家住宅(1932年竣工)や志村家住宅(1939年頃竣工)、アール・デコの建築様式を用いた耕雲館(1928年竣工)、フランク・ロイド・ライト本人が設計し連続する外開き窓が採用された電通八星苑(1917年竣工)、といった建築物が現存している。しかし、尾澤醫院兼住宅のように、これら多様なスタイルや仕様の全てを同時に併せ持った建築物は貴重とされている。 保存状態も良好である。あとから増築した病棟は1956年頃に取り壊されたが、尾澤醫院兼住宅はそのまま遺されている。外壁は部分的な改修痕があるものの、ほぼ創建時のままである。屋根は雨漏り発生のため勾配屋根をかけたものの、パラペット内に収まっている。そのため、尾澤醫院兼住宅の外観については、創建当時の趣をほぼそのままに伝えている。一方、屋内については、住居として用いられた部分を中心に水廻りなどの改修が見られるが、それ以外の部屋には創建当時の状態がよく遺されている。さらに、創建当時の家具や医療用具なども遺されており、全体として創建時の様式、意匠や雰囲気、趣がよく遺されている。 こうした点が評価され、世田谷区教育委員会事務局では世田谷区指定文化財の候補の一つとしてリストアップしており、他の候補とともに尾澤醫院兼住宅を「登録・指定文化財候補一覧」に掲載し、世田谷区文化財保護審議会に提示している。
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