松平光重 (大草松平家)とは? わかりやすく解説

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松平光重 (大草松平家)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/08/15 21:17 UTC 版)

 
松平 光重
時代 室町時代中期 - 戦国時代
生誕 不明
死没 永正5年2月9日1508年3月20日[注 1][2][3][4]
改名 光重、栄金[4]
別名 小五郎[4]、彦六郎、源三郎[1]
戒名 高月院光重栄金大禅定門[2][1]
墓所 大樹寺[3]
官位 大膳亮紀伊守[3][4][1]
主君 松平親長
氏族 大草松平家
父母 父:松平信光[注 2][5][6]母:牧原又兵衛娘[要出典]
兄弟 守家親忠与副光重忠景光親親則ほか[7][6]
西郷頼嗣の娘[8][5]
親貞信貞[注 3]、貞光、公親[10][2]
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松平 光重(まつだいら みつしげ)は、室町時代中期から戦国時代にかけての三河国武将額田郡岡崎および大草(愛知県幸田町北部)を所領とした大草松平家初代当主。

経歴

松平氏3代当主・松平信光の五男として生まれる[注 2][6]。光重の当初の根拠地は額田郡山間部の蓬生生平辺りにあったものと推測されている[11][10]。松平氏は応仁の乱が三河国へ波及するに乗じて勢力を伸長させ、岡崎城(明大寺旧城)の西郷氏と対立するが、文明年間までには同氏を屈服させた[注 4]。この際の和睦により光重は西郷頼嗣の婿養子となり、岡崎城・山中城を継承した[注 5][13][14][15][3][8]

延徳4年(1492年)既に入道して栄金と改めていた光重は、子の親貞と連名で額田郡蓬生の小島正秀へ所領宛行を、明応2年(1493年)には六所神社神主大竹氏へ替地宛行をそれぞれ行っている[5][3][16][17]。また明応3年(1494年)には惣領家の奉行として大樹寺へ安堵状を発給している[注 6][注 7]。この後に家督は嫡男の親貞に譲られ、文亀元年(1501年)の「大樹寺連判状」では親貞の名が見られる[20][3]。その後は形原松平家後見のため形原城に移り、文亀2年(1502年)には兄・与副菩提寺となる光忠寺を建立している。晩年は大草に住み、永正5年(1508年)没と伝わる。大草領は次男の信貞[注 3]、形原領は三男の貞光が継承した[注 8][3][22]

脚注

注釈

  1. ^ 朝野旧聞裒藁』が引く「大樹寺過去帳」は没月日を2月20日とする[1]
  2. ^ a b 松平泰親(信光の父)の子とする異説もある[5]
  3. ^ a b 「大林寺由緒書」は信貞を光重の子ではなく、西郷頼嗣の実子としている[9]
  4. ^ 「大林寺由緒書」は西郷氏との抗争を文正年間とする[9]
  5. ^ 光重以降、安祥松平家の松平清康の登場まで大草松平家が岡崎城主を継承したため、この家系を岡崎松平家と呼ぶことがある[12]
  6. ^
    額田拾人百姓之内、井口之郷次郎右衛門名田之内、大樹寺西川端畠之事、代物七貫文ニ作敷永代被召置候、但毎年年貢三百文宛、名主かたへ可有納所候、於以後不可有違乱煩者也、仍而執達如件
     明応三年甲刁十月二十八日 松平紀伊入道栄金(花押) — 『大樹寺文書』松平栄金奉書[18]
  7. ^ 柴裕之は、松平惣領家(岩津松平家)とその庶流とされる大草・大給松平家は早い時期から競合関係にあり、その成立や系譜について再検討すべきであると指摘している[19]
  8. ^ 形原松平氏について、当初は松平与副の系統と光重―貞光の系統の二系統が存在していたが、天文年間の織田氏今川氏の争乱の中で貞光系の形原松平氏は没落し、後世知られる与副系が残ったとする研究がある[21]

出典

  1. ^ a b c d 『朝野舊聞裒藁』, p. 285.
  2. ^ a b c 『新編岡崎市』, p. 439.
  3. ^ a b c d e f g 『新編岡崎市』総集編, § 松平光重.
  4. ^ a b c d 村岡 2008, p. 50.
  5. ^ a b c d 『新編岡崎市』, p. 437.
  6. ^ a b c 国史大辞典編集委員会 1992, § 松平氏.
  7. ^ 『新編岡崎市』, p. 440.
  8. ^ a b 林 1981, § 西郷氏城跡.
  9. ^ a b 『新編岡崎市』史料, p. 851.
  10. ^ a b 村岡 2008, p. 53.
  11. ^ 『新編岡崎市』, pp. 437–439.
  12. ^ 『新編岡崎市』, p. 436.
  13. ^ 『新編岡崎市』, pp. 425–426.
  14. ^ 『新編岡崎市』, pp. 435–436.
  15. ^ 『新編岡崎市』, p. 1128.
  16. ^ 林 1981, § 蓬生村.
  17. ^ 林 1981, § 明大寺村.
  18. ^ 『新編岡崎市』史料, p. 760.
  19. ^ 柴 2021, p. 11.
  20. ^ 『新編岡崎市』, pp. 437–438.
  21. ^ 小川 2017, pp. 38–43.
  22. ^ 村岡 2008, pp. 51–53.

参考文献

  • 村岡幹生「大草・岡崎松平家の光重・貞光父子と初期の形原松平家」『愛知県史研究』 12巻、愛知県、2008年。 
  • 小川雄「戦国・豊臣大名徳川氏と形原松平氏」『戦国期政治史論集』 西国編、岩田書院、2017年。ISBN 978-4-86602-013-6 
  • 柴裕之「戦国・織豊期の徳川家康の動向と研究」『徳川家康』戎光祥出版〈シリーズ・織豊大名の研究〉、2021年。ISBN 978-4-86403-407-4 
  • 新編岡崎市史編集委員会 編『新編岡崎市史』 中世、新編岡崎市史編さん委員会、1989年。 
  • 新編岡崎市史編集委員会 編『新編岡崎市史』 史料 古代中世、新編岡崎市史編さん委員会、1983年。 
  • 新編岡崎市史編集委員会 編『新編岡崎市史』 総集編、新編岡崎市史編さん委員会、1993年。 
  • 林英夫 編『愛知県の地名』平凡社日本歴史地名大系〉、1981年。ISBN 978-4-582-91038-4 
  • 国史大辞典編集委員会 編『国史大辞典』 13巻、吉川弘文館、1992年。ISBN 978-4-642-00513-5 
  • 朝野舊聞裒藁』 1巻、東洋書籍出版協会、1923年。 



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