松平光領とは? わかりやすく解説

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松平光領

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/09/25 14:00 UTC 版)

 
松平光領
時代 江戸時代後期
生誕 文化14年4月22日1817年6月6日
死没 天保12年6月24日1841年8月10日
改名 光直(初名)、光領
別名 広五郎、広助、広之助(通称
墓所 長野県松本市県の戸田家廟園
官位 従五位下・主膳正
信濃松本藩世嗣
氏族 戸田松平家
父母 父:松平光年、母:不詳
養父:松平光庸
兄弟 光領、松姫ら
蜂須賀治昭の娘・光姫
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松平 光領(まつだいら みつおさ)は、江戸時代後期の信濃国松本藩の世嗣。通称は広五郎、広助、広之助。官名は従五位下・主膳正。

略歴

第7代藩主・松平光年の四男として誕生した。初名は光直。正室は蜂須賀治昭の娘・光姫。

文政6年(1823年)8月24日、光年の養嗣子である松平光庸の順養子となる。光庸は第6代藩主・松平光行の子で光年の甥、光領の従兄にあたる。文政10年(1827年)11月15日、第11代将軍・徳川家斉に拝謁する。天保8年(1837年)に光年が死去し、光庸が家督を相続すると、同年12月16日(1838年)、光領は従五位下・主膳正に叙任する。しかし、自身は家督を相続することなく、天保12年(1841年)に死去した。代わって、光庸の三男の光則が嫡子となった。




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