東野幸治の石垣島トライアスロン結果と 行列チームの新たなる挑戦
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「行列のできる相談所」の記事における「東野幸治の石垣島トライアスロン結果と 行列チームの新たなる挑戦」の解説
菊地幸夫の趣味がトライアスロンであることから、学生時代に水泳選手として活躍した東野も紳助に言われて2009年4月26日の石垣島トライアスロンへ挑戦することになった。その模様は2009年5月31日に放送された。 応援としてわたせせいぞうがイラストを担当し、応援ソングとして東野が好きな佐野元春の「SOMEDAY」としたが、佐野に曲を使う許可を取っておらず、初期は曲名の下に「東野が勝手に決めたテーマソング」と出されていた。後に佐野本人が事務所を通じてビデオ出演し、最終的に清正公で許可してもらった。現在の佐渡ヶ島トライアスロンでは「東野が大好きな曲」と出されている。途中から本村健太郎も加わって、東野、菊地弁護士と一緒に挑戦した。 なお、地元の沖縄県では、日本テレビの系列の放送局がないため2週間後の6月14日9:00〜9:54に沖縄テレビで放送された。また、地元の新聞に沖縄テレビが広告として掲載し、この石垣島トライアスロン大会の内容を掲載していた。沖縄テレビのホームページにこの時の視聴率が掲載されている。 また、大会を生中継した地元の石垣ケーブルテレビでは東野が出演するCMを前日に放送した。 石垣島トライアスロン大会(水泳1.5km・自転車40km・マラソン10km) 2009年4月26日開催 大会結果 - 参加者1260人中 東野幸治 - 283位 目標順位を半数の630位以上とし、目標達成。これがきっかけで第10回ベストスイマー賞を受賞する。 菊地幸夫 - 447位 バイクで走行中、ゼッケン装着を忘れてスタートに戻るハプニングが発生。「河原が(以前参加した大会で)レースあきらめなかったんだから、俺だって諦めるわけにいかないんですよ!」と叫び、ハプニングを乗り越えて完走した。 宮古島トライアスロン(水泳3km・自転車155km・マラソン42.195km)完走について。番組とは関係ないが、菊池のみ、この石垣島の1年後、2010年4月18日、全日本トライアスロン宮古島大会に参加して完走した。5月23日放送分でこの完走が報告された。この時、紳助の挑発にゲストの高田延彦がのる形で、高田のトライアスロン挑戦が決まった。 本村健太郎 - 917位 スタート前から不安を隠せなかったが、気力で乗り切った。しかし、後の放送で走行で見せた疲れはテレビ受けを狙った芝居であり、実際は余裕が残っていたことが明らかにされ、罰ゲームとしてボランティア活動をすることになった。 なお、番組の企画とは無関係だが、この大会には近藤真彦とヒロミ(いずれも本番組ゲスト出演歴あり)も出場していた。 行列チームの新たなる挑戦 アイアンマンより長く、また夏の炎天下での開催から、最も過酷と言われる佐渡国際トライアスロン大会への2011年9月4日の出場を目指して、2010年8月、トライアスロンクラブを作る。会員は東野、菊地、高田延彦、安田美沙子、石井慧、ノッチの6人であったが、高田が以前から痛めていた首の診断をした際、医者からドクターストップを掛けられリタイアとなったが、出演者は「本当は出たくないんじゃ」とかなり怪しんでいた。だが、紳助の引退によって今回メンバーの参加が危ぶまれていたが、予定通り出場することが発表される。また、2011年10月16日放送分では、石井が練習中の怪我でドクターストップが掛かったことも明かされた。 また、その模様は10月23日 - 11月6日の3週に渡って放送された。 東野が佐渡に来た際は、日本テレビ系列局であるテレビ新潟の取材を受け、そこで番組CMも製作されて実際に流された。
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