東野英治郎の意見
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 08:31 UTC 版)
1962年2月19日、東野は『東京新聞』朝刊の「月曜モニター」欄に「“声”優に危険手当てを―他人の演技に合わす苦しみ」と題するコラムを発表した。このコラムで東野は、日本の俳優によるアテレコを「最近はだんだんにうまくなってきている」と評価しつつも、「これからは性格や個性を出すような段階にきている」という意見には疑問を呈している。そして、俳優の仕事とは「自分独特の方法で役の人物を創造するもの」であって、その演技は「動くから自然に声が出るのであり、声が出るから動くもの」なのだから、他人のつくった役の動きに声だけを当てはめるアテレコを続ければ「俳優は操り人形になりかねない」「うかうかすれば片輪になりかねない」危険な仕事であると論じ、「ことに若い俳優諸君に申し上げたい」と警告した。加えて制作者に対しては、「危険手当てとでもと考えて」アテレコを務める俳優に「十分の報酬をあげてほしい」と要求した。 なお、このコラムにおいて、東野が洋画の吹き替えやアニメのアフレコを「自分の尺で演技できない、芝居とは呼べない外道の所業」と評したとされることがあるが、実際は東野はアニメには言及しておらず、「外道の所業」という言葉も使っていない。
※この「東野英治郎の意見」の解説は、「アテレコ論争」の解説の一部です。
「東野英治郎の意見」を含む「アテレコ論争」の記事については、「アテレコ論争」の概要を参照ください。
- 東野英治郎の意見のページへのリンク