東野周防守行一開祖説
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/30 15:23 UTC 版)
東野左京家に伝わる「東野家来歴書」によると、南北朝時代初頭、佐竹行重説の120年余り前に、東野周防守行一が、余呉庄東野の西方、現在の行市山の山腹にあたる場所に、城を築いて本拠としたとある。その後、行一の孫にあたる行宗は道義入道と称し、余呉湖北方に連なる尾根の東端、堂木山に城を築き本拠地と改めた。また、この系図には行一から数えて5代目にあたる人物として、行重という名前が記されており、東野太右衛門氏所蔵の系図にある佐竹行重と同一人物の可能性もある。
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