東豆川・抱川-議政府
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/30 04:21 UTC 版)
「国境会戦 (朝鮮戦争)」の記事における「東豆川・抱川-議政府」の解説
北朝鮮が計画し、韓国が予想した通り、北朝鮮軍の主攻はこの方面に指向された。北朝鮮軍第3師団は雲川から抱川に、第4師団は漣川から東豆川に向け、それぞれ第109、第107戦車連隊の支援を受けつつ、急速に前進した。この方面を守備する韓国軍第7師団は事実上2個連隊基幹となっており、第1連隊が東豆川正面を、第9連隊が抱川正面を担当し、予備隊は存在しなかった。このため、各部隊の配置は疎になっており、特に第1連隊は、第2大隊が北朝鮮軍の強力な歩戦協同部隊と激戦中であるにもかかわらず、他の2個大隊は接敵すらしていないという状況にあった。第2大隊は勇戦敢闘したものの弾薬の再補給を受けられず、15時ごろより主抵抗線を突破されはじめた。北朝鮮軍はその勢いを駆り、夕刻には東豆川市内に突入した。韓国軍第1連隊は後退し、集結したが、通信途絶により第1大隊には後退命令が伝わらなかった。 一方、抱川正面の韓国軍第9連隊は、連隊長の処置により全将兵が営内待機していた。これに対する北朝鮮軍第3師団は、他の部隊より20分早い3時40分より攻勢準備射撃を開始し、第109戦車連隊の戦車40両を先頭にした主攻を梁文里から抱川に到る43号線に指向する一方、梁文里西方の永平里から抱川北側の加郎山に到る軸線に助攻を指向し、第9連隊主力の後方を遮断しようと試みたが、この方面に配置されていた前哨中隊の抵抗によってこれは失敗した。しかし歩戦協同攻撃により韓国軍は圧倒され、9時には主抵抗線まで後退していた。第9連隊は頑強に抵抗したが、予備陣地まで敵に蹂躙され、第7師団との連絡も途絶したことから、連隊長は独断で17時ごろより光陵への後退を実施した。この際第3大隊には命令が伝わらず、陣地を固守していたために後退の時期を逸し、大損害を受けた。 第7師団よりソウルの首都警備司令部に隷属換えされていた第3連隊は11時、第7師団への配属命令を受け、この時点で召集されていた600名を2個大隊に臨時編成して、第3大隊長の指揮下で抱川に向かった。連隊長は抱川で連隊と合流し、同市南方の松隅里に応急陣地の配備を決心したが、配備完了以前に戦車7~8両を含む北朝鮮軍の機甲部隊の攻撃を受けた。第3連隊は圧倒されて連隊長が行方不明になり、第3大隊長の指揮下で後退した。 北朝鮮軍は開戦当日に東豆川道正面で8キロ、抱川道正面で10キロを突破した。これに対し、韓国軍第7師団は開戦当日に東豆川、抱川を奪取され、部隊は分散し、議政府の防御は危険な状況に陥っていた。韓国軍陸軍本部はこの状況を認識しており、上述のように第3連隊が第7師団に復帰したほか、午後には第18連隊(1個大隊欠)に加え、陸軍士官学校の部隊も追加配属された。さらに到着しはじめた後方警戒部隊も議政府正面に投入され、最終的に、25日から26日にかけて議政府方面に増援された部隊は5個連隊の計15個大隊に及んだ。しかしこれら部隊は、非常召集によって集結した順序のままの臨時編成で投入されており、指揮系統の確立がまったくなされておらず、また逐次に投入されたため、これらの増援部隊は所期の戦闘力を発揮することができず、各個に撃破される結果となった。
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