東京大学旅行研究会(1961年)
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「最長片道切符」の記事における「東京大学旅行研究会(1961年)」の解説
知られている限り最初に国鉄の最長片道切符旅行を試みたのは、東京大学旅行研究会の会員4名である。これは、同会会員の1人が「一番長い距離を最短時間で移動するとどれだけ掛かるのか?」と発言したことがきっかけであり、その計算をした結果が最長片道切符の誕生に繋がった。これらはNHKの2004年5月5日に放送された、『列島縦断 鉄道12000キロの旅 〜最長片道切符でゆく42日〜』出発前のプレ番組で、この時の旅人の1人である鷲尾悦也(後の日本労働組合総連合会会長)が証言している。 国鉄でもこの乗車券を発行してよいかが本社レベルで話し合われ、検討会が何度も行われたと言われている。前例のない乗車券だったことが伺える。 実際の旅程は1961年7月、鹿児島県の古江線海潟駅(後の大隅線海潟温泉駅。現在廃止)から北海道の広尾線広尾駅(現在廃止)に至る12,145.3キロを、25日間で旅行した。その旅行記は『世界の旅10、日本の発見』(中央公論社、1962年)に収録されている。なお、この旅行記の担当編集者が次項の宮脇俊三である。 ただ、近年この旅程に関し一部鉄道ファンの間で再検討が行われた結果、同旅行の時点で彼らが取ったルートよりも実乗車経路・運賃計算経路が共に長くなるルートが存在したことが判明しており、厳密に言えばこの旅行は「最長片道切符旅行」とは呼べないとの指摘がされている。 以来、鉄道ファンの間では散発的に同種の試みが行われるようになったという。しかし、明確な文献記録が残されている事例はなく、ごく稀な事例だったと考えられる。 なお、厳密な意味での最長片道切符旅行は、1973年に当時横浜市立大学医学部の学生だった光畑茂(のち医師)が行った可能性がある。ただしこの時のルートは「新幹線抜きの最長ルート」だったという。また、これについてはルート等の詳細がメディア上で発表されていないため、実行の検証はされていない。メディア等で検証可能なものとしては次項で述べる宮脇のものが最初であるとされる。
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