東京大学旅行研究会とは? わかりやすく解説

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東京大学旅行研究会(1961年)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/01 00:14 UTC 版)

最長片道切符」の記事における「東京大学旅行研究会(1961年)」の解説

知られている限り最初に国鉄最長片道切符旅行試みたのは、東京大学旅行研究会の会員4名である。これは、同会会員1人が「一番長い距離を最短時間移動するとどれだけ掛かるのか?」と発言したことがきっかけであり、その計算をした結果最長片道切符誕生繋がった。これらはNHK2004年5月5日放送された、『列島縦断 鉄道12000キロの旅 〜最長片道切符でゆく42日〜出発前のプレ番組で、この時の旅人1人である鷲尾悦也(後の日本労働組合総連合会会長)が証言している。 国鉄でもこの乗車券発行してよいかが本社レベル話し合われ検討会が何度も行われたと言われている。前例のない乗車券だったことが伺える。 実際旅程1961年7月鹿児島県古江線海潟駅(後の大隅線海潟温泉駅。現在廃止)から北海道広尾線広尾駅(現在廃止)に至る12,145.3キロを、25日間で旅行した。その旅行記は『世界の旅10日本発見』(中央公論社1962年)に収録されている。なお、この旅行記担当編集者次項宮脇俊三である。 ただ、近年この旅程関し一部鉄道ファンの間で再検討が行われた結果、同旅行時点で彼らが取ったルートよりも実乗車経路運賃計算経路が共に長くなるルート存在したことが判明しており、厳密に言えばこの旅行は「最長片道切符旅行」とは呼べないとの指摘がされている。 以来鉄道ファンの間では散発的に同種の試みが行われるようになったという。しかし、明確な文献記録残されている事例はなく、ごく稀な事例だったと考えられる。 なお、厳密な意味での最長片道切符旅行は、1973年当時横浜市立大学医学部学生だった光畑茂(のち医師が行った可能性がある。ただしこの時のルートは「新幹線抜き最長ルート」だったという。また、これについてはルート等の詳細メディア上で発表されていないため、実行検証はされていないメディア等検証可能なものとしては次項述べ宮脇のものが最初であるとされる

※この「東京大学旅行研究会(1961年)」の解説は、「最長片道切符」の解説の一部です。
「東京大学旅行研究会(1961年)」を含む「最長片道切符」の記事については、「最長片道切符」の概要を参照ください。

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