朴政権の対応とは? わかりやすく解説

朴政権の対応

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 08:33 UTC 版)

青瓦台襲撃未遂事件」の記事における「朴政権の対応」の解説

朴正煕大統領事件直後、駐韓アメリカ大使に「北の奴等が私を殺しにきた」「北を攻撃しなければならない2日平壌まで進める」と、憤りあらわにした。事件北朝鮮謝罪しない場合は、報復攻撃を行うべきとの書簡リンドン・B・ジョンソン大統領送った。 ところが、直後1月23日プエブロ号事件発生するアメリカ軍報復のために空母派遣するが、すでにベトナム戦争戦っている中で、新たに朝鮮半島軍事行動起こす余力無く、また北朝鮮同盟関係にあったソ連直接戦争に至る可能性考慮してジョンソン外交交渉選んだアメリカ軍援助受けられない知ったは、軍の北進断念した。 しかしは「われわれは日夜このようにやられてかりいるのか。何か方法はないのか。報復する方法が」と北朝鮮への対抗策を求め政権内部での発言力強めたかった大韓民国中央情報部金炯旭部長が、金日成暗殺部隊創設決意した。 これによって1968年4月創設され空軍2325戦隊209派遣隊は、創設年月から通称684部隊」と呼ばれ青瓦台襲撃した北朝鮮工作員人数と同じ31人の隊員から構成された。部隊仁川沖合実尾島訓練を受けることになったが、1970年以降南北融和流れ加速したため、金日成暗殺現実的なくなり1971年計画撤回された。 完全に宙に浮いた存在となってしまった684部隊待遇悪化し、不満が増大した部隊員は1971年8月23日叛乱起こすバス乗っ取ってソウル市内に向けて進み軍・警察との銃撃戦の末に自爆した実尾島事件)。同事件は、後に『シルミド』として映画化されるなど、韓国国内見直し進んでいる。 襲撃未遂事件について伝え1月22日付「中央日報工作員1月21日身を潜めた、文殊峰と碑峰の間にある紗帽岩V字洞窟には、工作員人形置かれている 韓国侵入時に非武装地帯米軍2師団鉄柵切断する時に使用したペンチ 金新朝らが携帯したPPS短機関銃 金新朝らが携帯したRPG-43対戦車手榴弾 京畿道坡州市積城面沓谷里山55番地敵軍墓地」にあるゲリラの墓 青瓦台襲撃未遂事件被弾し松の木

※この「朴政権の対応」の解説は、「青瓦台襲撃未遂事件」の解説の一部です。
「朴政権の対応」を含む「青瓦台襲撃未遂事件」の記事については、「青瓦台襲撃未遂事件」の概要を参照ください。

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