朱泚の乱とは? わかりやすく解説

朱泚の乱

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/07 05:52 UTC 版)

李晟」の記事における「朱泚の乱」の解説

同年秋、涇原で恩賞不満による兵変が起き徳宗奉天避難した。涇原の兵は滔の兄の朱泚従った朱泚大秦皇帝名乗って奉天包囲した李晟は病から復活し奉天救援向かいたがったが、張孝忠が朱泚攻撃晒されることを恐れて義武軍に留めた。李晟が張孝忠の配下賄賂送り、子の憑を義武軍に留めることで張孝忠は納得し楊栄と共に徳宗救援に向かわせた。長安に兵4千で至ると朱泚包囲を解くことができず、東渭に留まった。李晟人望があったため、長安付近の人が集まり、軍が一万膨れ上がったという。 李懐光が到着すると、朱泚による奉天包囲解かれた。しかし徳宗会見断り長安奪回のために李晟建徽・楊恵元と合流させた。李懐光は合流した長安攻撃せずに咸陽に留まった。興元元年784年)春、李晟李懐光が朱泚通じていることを察知し、東渭に軍を移した。さらに、徳宗反乱備えて漢中や蜀への道を確保することを促した徳宗なだめたが、李懐光は造反公表した徳宗梁州避難しその際李晟同中書門下平章事とし、長安軍事任せられた。 李晟朱泚李懐光の乱の対応に追われた。李懐光には投降促す手紙送った李懐光は応じなかったが、李晟恐れて兵を河中まで引いた一方朱泚長安居た李晟親族優遇することで李晟味方引き込もうとしたが、李晟応じなかった。徳宗が渾瑊を長安向かわせると、李晟長安攻撃備えた同年6月李晟宣戦布告をして渾瑊・駱元光尚可孤と共に長安進んだ同月長安奪回すると朱泚逃げ配下殺された。

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朱泚の乱

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/28 14:40 UTC 版)

朱泚」の記事における「朱泚の乱」の解説

783年秋、涇州原州恩賞の不満のために兵変が起き徳宗奉天避難した涇州原州の兵は既に造反していた滔の兄の朱泚従った朱泚当初指導者になると言ったが、翌日には徳宗長安迎え入れることを公表した。これを受けて朱泚賛同する配下がいたが、朱泚がそれをよく思わなかったのを見て徳宗忠心がある者は去った源休という部将が唐と対立したため、朱泚参謀となり、朱泚即位勧めた李忠臣張光晟姚令言といった部将朱泚協力した段秀実朱泚殺して徳宗迎え入れようとしていたが、それを知らず朱泚段秀実引き入れた朱泚は韓旻を兵3千で奉天に向かわせた。名目上徳宗長安迎え入れるめだったが、実際に奇襲のためであった段秀実は岐霊岳に韓旻に戦い放棄して帰ることを姚令言装って命じらせた。その頃朱泚即位計画諸将話し合っていたが、段秀実暗殺未遂終わった朱泚は赦そうとしたが、段秀実は護兵に殺された。同年秋、朱泚大秦皇帝即位した。兄の子遂を太子とし、弟の滔を冀王・太尉尚書令とした。朱泚は自ら奉天向かい道中軍勢膨らませた。姚令言元帥張光晟副帥、仇敬忠李忠臣留守として長安留めた。朱泚は渾瑊と韓游瓌戦い、やがて兵糧絶たれ奉天苦しんだが、唐の別働隊長安秦軍攻撃した朱泚益々奉天激しく攻撃したが、包囲一カ月間ほど経つと、唐の李懐光が長安向かった李懐光が醴泉秦軍負かすと、朱泚奉天放棄して長安駆けつけた。士気挙げるため度々奉天を陥したという噂を広めたが、その実支配長安周辺にしか及ばず、再び奉天攻めることは無かった。もし李懐光の到着3日遅れていれば奉天朱泚の手入ったと言われる784年初、朱泚は漢と国号改名した源休助言従い徳宗宗室大勢処刑したが、長安の唐将や殿堂手をつけることは拒否したこの頃徳宗秦軍降伏期待して大赦したが、朱泚はこの大赦から除外した長安攻め唐軍李懐光の不満により内部揉めになった朱泚李懐光を兄とし、それぞれ独立して共栄することを持ちかけた。李懐光はその通り徳宗から造反し、建徽と楊恵元の軍を捕らえて朱泚協力することを公表した恐れた徳宗興元避難した。これを受けて朱泚に従う配下続出した李懐光の配下李懐光に逆らい朱泚も兄ではなく臣として扱うようになると、李懐光は怒り、また李晟恐れて長安から河中へと逃げた朱泚李晟の軍の親族優遇することで李晟引き入れようとしたが、李晟断った。渾瑊と李晟合流して長安攻略備えた吐蕃の軍も合流したが、朱泚はそれらに賄賂送って放棄することを説得した784年夏、李晟の軍が長安侵攻した。漢軍の張庭李希倩は敗れ密かに李晟通じていた張光晟朱泚逃げることを説得した朱泚長安去り、唐が長安奪回した朱泚吐蕃逃げ道中涇州で田希鑒に阻まれた。朱泚怒って涇州攻撃した勝てず、朱泚涇州原州の兵は姚令言殺害して田希鑒に投降した朱泚逃げ続け、彭原に至ると配下射殺された。享年43朱泚の首を斬って唐に投降した

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