本部移転問題
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/15 08:55 UTC 版)
「社会民主党 (日本 1996-)」の記事における「本部移転問題」の解説
社民党の本部は、前身の社会党時代の1964年、それまでの党本部が1964年東京オリンピック開催に伴う国道246号の拡幅工事で立ち退きが必要となり、政府が代替地として提供した現地を、年間約2850万円で借り受けて1964年に建築された「社会文化会館」(地上7階地下1階・約6600平方メートル)であり、近くにある坂の名前から通称三宅坂と呼ばれ、長らく活動の拠点となってきた。 21世紀に入って党勢が低下してからは空き部屋も増えたが、多目的ホールなどを撮影に貸し出すなどしており、レトロな雰囲気の相まって、テレビ関係者の口コミで頻繁にドラマ撮影などに貸し出され、最盛期には年間9千万円、2010年には年間30回利用され、123万円の利用料収入を上げていた。党側も、宣伝になるとして貸し出しに積極的であった。 しかし2011年の東日本大震災以後、ビルの耐震性が問題視されて一般貸し出しができない状態に陥り、管理財団は2012年3月31日に解散。以降ビルのメンテナンスは党職員が行うことになった。 党として継続費用を模索するも、専門家による耐震診断の結果は「即時使用制限」となった。修繕しようにも修繕積立などは全く行われておらず、また退去しようにも敷地が国有地であるため退去時に解体費用を負担する必要があり、対応が困難であった。2013年1月28日に社会文化会館を退去することとなった時点で、館内の8フロアのうち党本部と東京都連が1フロアずつ利用しているのみで、ほかのフロアは節電のため常に消灯している状況であった。 のちにこれら費用のうち、耐震診断については党が千代田区に助成を申請し、費用の全額約850万円が公費で賄われたことが明らかとなった。その内訳は、3分の1の280万円余りが平成24年度日本国政府の復興予算「全国防災対策費」から拠出され、残りは東京都が助成した。 解体費用についても、党は千代田区に助成を申請し、区は約3分の1の助成を決定して党に通知した。解体費用の助成は新年度予算からの支出となるが、このうち半額は国費で賄われたことが明らかとなった。 これらの公費助成の根拠法である東日本大震災復興基本法(2011年6月施行)は、社民党所属全議員を含む与野党の賛成多数で可決成立したものである。同法では、その目的を、東日本大震災からの復興の円滑かつ迅速な推進と活力ある日本の再生を図ることを目的とする(法1条)と明記しており、いわゆる復興予算が被災地の震災復興だけに使われるものではないことが明示されていた。 しかし、社民党は、党代表を含む所属全議員の賛成により成立したこの法律を根拠とし、条文に明示されている運用に基づいている復興予算の被災地以外の事業適用であるにもかかわらず、目的外に流用されていたなどとして政府与党を批判する一方、党としてはその恩恵を受けていたことから、その姿勢が問われるとの報道がなされた。 この報道の後、社民党は「違法ではないが好ましくない」として、耐震診断についての復興予算相当分の280万円については、被災地に寄付することを表明した。一方で、解体費用についての復興予算相当分については、その金額自体が明示されなかった。 社会文化会館は3月に解体作業を開始、8月には解体を完了した。 退去後の党本部は、内閣総理大臣官邸の裏に立地する民間ビル「永田町ビル」の2フロアへ移転したが、2017年5月8日、党勢低迷で賃料を削ってでも選挙費用などに充てるべきだとの判断から、東京都中央区湊3丁目にある民間ビルに再移転した。
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