本町線と大津町線
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/11/27 23:45 UTC 版)
「名古屋市電大津町線」の記事における「本町線と大津町線」の解説
名古屋市中区のうち、北は名古屋城外堀の一つ南の京町通、南は広小路通、西は堀川、東は久屋大通に囲まれる範囲は、江戸時代初頭に名古屋城城下町が整備されるにあたり「碁盤割」の街並みが形成され、江戸期より城下の中心地として栄えた土地である。この「碁盤割」地域の中央部を縦貫する幹線道路を本町通といい、南は城下町を出て熱田まで通じていた。 1896年(明治29年)6月、名古屋市電の前身である名古屋電気鉄道が路面電車を敷設すべく軌道敷設特許を得た際、東西の広小路通の路線(栄町線)に加え、南北の本町通の路線も存在していた。計画では、広小路通から北へ、外堀通本町御門まで伸びる予定であった。1898年(明治31年)に最初の路線である栄町線を開通させた後、名古屋電気鉄道は路線網を拡大させていくが、本町御門まで路線が伸びたのは1914年(大正3年)のことであった。ただし線路は本町通上にはなく、西回り、志摩町経由であり、途中の御園御門まで名古屋駅と名古屋城を結ぶ行幸道路上を通ったことから御幸線と命名されていた。 名古屋市が上記行幸道路を整備する際、名古屋城へ通じる本町通を拡張し名古屋駅まで伸びる広小路通とあわせて行幸道路とする、という案も検討されていた。しかし拡張済みの広小路通に対して本町通側が狭隘路のままであるため拡張工事費がかさむとして取り止めとなり、行幸道路は西回りに変更されて本町通の拡張はなされなかった。その後1919年(大正8年)になり、栄町から南外堀町までの区間の大津町筋すなわち大津通(当時の通称は「大津町線」)の改修が決定する。同区間は幅員13間(23.63メートル)の歩道付き道路として1924年(大正13年)5月におおむね竣工した。 道路整備中の1922年(大正11年)8月、名古屋電気鉄道市内線を名古屋市が買収し名古屋市電が成立した。市営化後、市では大津通拡張を含む道路整備計画と連動した5本の市電新線建設を決定し、1922年度からの5か年継続事業として着手する。この「第一期軌道建設改良工事」には大津町線の建設も含まれており、2年後の1924年7月20日、栄町停留場から大津町停留場(後の大津橋)へ至る1.0556キロメートルが開業に至った。なお同区間の軌道敷設特許は名古屋電気鉄道時代の1919年6月7日付で申請、1921年(大正10年)7月29日付で許可されていたものである。大津町線は栄町で栄町線・熱田線に、大津橋で東片端線にそれぞれ接続しており、そのうち熱田線と直通する運転系統(大津橋 - 熱田伝馬町間で運行)が開業と同時に設定されている。 大津町線開通の一方、それと引き換えに本町通での市電建設はその必要がなくなり、1896年に得ていた玉屋町4丁目 - 本町1丁目間の軌道敷設特許は1926年(大正15年)2月4日付で失効した。
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