本太
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/07/29 10:28 UTC 版)
■本太
|
|
---|---|
|
|
北緯35度51分53.51秒 東経139度39分35.9秒 / 北緯35.8648639度 東経139.659972度 | |
国 | ![]() |
都道府県 | ![]() |
市町村 | ![]() |
行政区 | 浦和区 |
人口 | |
• 合計 | 13,565人 |
等時帯 | UTC+9 (日本標準時) |
郵便番号 |
330-0052[2]
|
市外局番 | 048[3] |
ナンバープレート | 大宮 |
本太(もとぶと)は、埼玉県さいたま市浦和区の町丁。現行行政地名は本太一丁目から本太五丁目。住居表示実施地区[4]。郵便番号は330-0052[2]。
地理
さいたま市浦和区南東部の大宮台地上に位置する。浦和駅東口から近く、おもに住宅地となっている。縄文時代中期の縄文遺跡である本太四丁目遺跡が地区内に所在する[5]。
地価
住宅地の地価は、2022年(令和4年)1月1日の公示地価によれば、本太一丁目18番21号の地点で34万9000円/m2となっている[6]。
歴史
奈良時代には律令制による政庁が本太に置かれていた。その跡地は氷川神社となり、現在まで残っている。
江戸時代は足立郡浦和領に属する本太村であった[5]。元太村とも記される[7]。
- 発足時は幕府領、1703年(元禄16年)より知行は旗本前田氏および幕府領となるが、1722年(享保7年)より幕府領に統合される[5]。
- 幕末時点では足立郡本太村であった。明治初年の『旧高旧領取調帳』の記載によると、代官大竹左馬太郎支配所が管轄する幕府領であった[8]。
- 1868年(慶応4年)6月19日:武蔵知県事・山田政則(忍藩士)の管轄となる。
- 1869年(明治2年)
- 1871年(明治4年)11月13日:第1次府県統合により埼玉県の管轄となる。
- 1873年(明治6年):延命寺の境内に仮校舎を設置して本太学校を開設する[5]。
- 1879年(明治12年)3月17日:郡区町村編制法により成立した北足立郡に属す。郡役所は浦和宿に設置。
- 1889年(明治22年)4月1日:町村制施行により、上木崎村、下木崎村、駒場村、瀬ヶ崎村、針ヶ谷村、本太村、北袋村、木崎領領家村が合併し、木崎村(江戸期の木崎村とは別の自治体)が成立[9]。本太村は木崎村の大字本太となる。
- 1932年(昭和7年)4月1日:木崎村が谷田村と共に浦和町へ編入され[10]、浦和町の大字となる。
- 1934年(昭和9年)2月11日:浦和町が市制を施行し、浦和市となり[10]、同市の大字となる。
- 1954年(昭和29年)1月1日:浦和市大字本太から本太町一丁目 - 五丁目、元町一丁目 - 三丁目、前地町一丁目 - 三丁目が成立[5](住居表示とは別の町名変更)。
- 1968年(昭和40年):大字本太の一部が東仲町の一部となる[5]。
- 1966年(昭和41年)4月1日:住居表示実施により、本太町一丁目 - 五丁目[11][5]、仲町五丁目および大字駒場の各一部から本太一丁目 - 五丁目が成立(本太町一丁目から本太一丁目が、本太町二丁目および仲町五丁目の一部から本太二丁目が、本太町三丁目および仲町五丁目の一部から本太三丁目が、本太町四丁目から本太四丁目が、本太町五丁目および大字駒場の一部から本太五丁目がそれぞれ成立)。
- 2001年(平成13年)5月1日:浦和市・大宮市・与野市が合併し、さいたま市が発足。同市の町丁となる。
- 2003年(平成15年)4月1日:さいたま市が政令指定都市に移行し、同市浦和区の町丁となる。
世帯数と人口
2017年(平成29年)9月1日時点の世帯数と人口は、以下のとおりである[1]。
丁目 | 世帯数 | 人口 |
---|---|---|
本太一丁目 | 1,882世帯 | 4,044人 |
本太二丁目 | 1,341世帯 | 2,889人 |
本太三丁目 | 1,218世帯 | 2,684人 |
本太四丁目 | 763世帯 | 1,781人 |
本太五丁目 | 948世帯 | 2,167人 |
計 | 6,152世帯 | 13,565人 |
小・中学校の学区
市立小・中学校に通う場合、学区(校区)は以下のとおりとなる[12]。
丁目 | 区域 | 小学校 | 中学校 |
---|---|---|---|
本太一丁目 | 1 - 36・39 - 42 | さいたま市立仲本小学校 | さいたま市立原山中学校 |
37・38 | さいたま市立本太小学校 | さいたま市立本太中学校 | |
本太二丁目 | 1・9 - 17 | さいたま市立仲本小学校 | さいたま市立原山中学校 |
2 - 8・18 - 29 | さいたま市立本太小学校 | さいたま市立本太中学校 | |
本太三丁目 | 全域 | ||
本太四丁目 | 全域 | ||
本太五丁目 | 1・2・15 - 25 | さいたま市立仲本小学校 | さいたま市立原山中学校 |
3 - 14・26 - 40 | さいたま市立本太小学校 | さいたま市立本太中学校 |
交通
本太三丁目の西縁を東日本旅客鉄道(JR東日本)京浜東北線、宇都宮線・高崎線、湘南新宿ラインが通るが、地内に駅はない。最寄り駅は地点によって異なり、東日本旅客鉄道(JR東日本)各線の浦和駅、または同京浜東北線の北浦和駅である。
道路
地域
寺社
- 氷川神社[13]
- 天台宗延命寺 - 本太一丁目にある。ムクノキが有名[14]。
- 元太観音堂 - 本太二丁目にある。元天台宗冨岡山瑞岸寺の観音堂で、延命寺が管理する。足立坂東三十三観音霊場のひとつ。市指定有形民俗文化財の「本太観音堂連経講絵馬」がある[15]。
- 三角稲荷神社
- 山神神社
施設
- さいたま市立仲本小学校
- さいたま市立本太小学校
- 浦和総合運動場(一部)
- 本太保育園
- 本太幼稚園
- 浦和母の会幼稚園
- 浦和本太郵便局
- 三角稲荷公園 - 新浦和橋高架下に所在
- 本太児童公園
※なお、さいたま市立本太中学校は領家一丁目にある。
脚注
- ^ a b “さいたま市の人口・世帯(時系列結果)”. さいたま市 (2017年9月5日). 2017年9月20日閲覧。
- ^ a b “郵便番号”. 日本郵便. 2017年9月30日閲覧。
- ^ “市外局番の一覧”. 総務省. 2017年5月29日閲覧。
- ^ “住居表示実施地区一覧” (PDF). さいたま市 (2019年2月26日). 2019年12月9日閲覧。
- ^ a b c d e f g 『角川日本地名大辞典 11 埼玉県』 856頁。
- ^ 国土交通省地価公示・都道府県地価調査
- ^ 新編武蔵風土記稿 元太村.
- ^ 「旧高旧領取調帳データベース」の元太村の検索結果も参照。
- ^ 『角川日本地名大辞典 11 埼玉県』 305頁。
- ^ a b 『角川日本地名大辞典 11 埼玉県』 1420頁。
- ^ 『角川日本地名大辞典 11 埼玉県』 922頁。
- ^ “さいたま市立小・中学校通学区域一覧(町名別)” (PDF). 埼玉県さいたま市役所公式ホームページ. 2025年7月29日閲覧。
- ^ 『でっか字埼玉便利情報地図2013年2版2刷』昭文社、2013年、74頁。ISBN 978-4-398-60135-3。
- ^ “文化財紹介 延命寺のムクノキ”. さいたま市 (2018年10月3日). 2022年10月30日閲覧。
- ^ “文化財紹介 本太観音堂連経講絵馬”. さいたま市 (2013年12月26日). 2022年10月30日閲覧。
参考文献
- 「角川日本地名大辞典」編纂委員会『角川日本地名大辞典 11 埼玉県』角川書店、1980年7月8日。 ISBN 4040011104。
- 浦和市総務部市史編さん室『わがまち浦和―地域別案内』浦和市、1982年11月30日。全国書誌番号: 83024476、 NCID BN10203371。
- 旧高旧領取調帳データベース
- 「元太村」『新編武蔵風土記稿』 巻ノ142足立郡ノ8、内務省地理局、1884年6月。NDLJP:763998/47。
関連項目
外部リンク
「本太」の例文・使い方・用例・文例
- 本・太のページへのリンク