能満寺のソテツとは? わかりやすく解説

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能満寺のソテツ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/07 13:35 UTC 版)

能満寺のソテツ

能満寺のソテツ(のうまんじのソテツ)は、静岡県榛原郡吉田町能満寺境内にあるソテツである[1]

概要

能満寺のソテツ

大阪の妙国寺のソテツ静岡市清水区龍華寺のソテツとともに、日本のソテツの三名木と呼ばれており[2]1924年(大正13年)、国の天然記念物に指定された[3]1000年頃、陰陽師として有名な安倍晴明が、能満寺に植えたと伝えられている[4]

伝説

能満寺のソテツを描いた江戸時代の彩色画(「能満寺鐡蕉之圖」藤長庚編集『遠江古蹟圖會』1803年。国立国会図書館蔵)

能満寺のソテツには次のような2つの言い伝えがある。

大蛇とソテツ

安倍晴明が大井川を流れて来た大蛇を見つけ、これを葬り、その上にソテツを植えた。すると、ソテツは、大蛇の精をうけて大きく大蛇のような姿になった。そこで、晴明は、人々に害を与えないように、大蛇の精を封じたと言われている[5]

泣いたソテツ

駿府城にいた徳川家康が、ある時、能満寺を訪れ、ソテツのみごとさに驚いて、どうしてもソテツをほしくなった。家康の頼みに、住職も仕方なくソテツを掘り起こし、船に乗せて駿府城へと運びこんだ。すると数日後の夜から、毎夜、城の庭で人の泣く声がする。調べてみると、「能満寺へ帰りたい。能満寺へ帰りたい。」とソテツが泣いていることがわかった。家康は後難を恐れ、仕方なくソテツを能満寺へ送り返したという[6]

所在地

能満寺の
ソテツ
能満寺のソテツの位置

静岡県榛原郡吉田町片岡[7]

脚注

出典

参考文献

関連項目

外部リンク

座標: 北緯34度46分44.1秒 東経138度14分53.3秒 / 北緯34.778917度 東経138.248139度 / 34.778917; 138.248139

  1. ^ 地球の歩き方編集室 2021, p. 64.


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