能満寺のソテツ
名称: | 能満寺のソテツ |
ふりがな: | のうまんじのそてつ |
種別: | 天然記念物 |
種別2: | |
都道府県: | 静岡県 |
市区町村: | 榛原郡吉田町 |
管理団体: | |
指定年月日: | 1924.12.09(大正13.12.09) |
指定基準: | 植1 |
特別指定年月日: | |
追加指定年月日: | |
解説文: | 天然紀念物調査報告(植物之部)第四輯 六一頁 參照 天然紀念物解説 一九六頁 本樹 Cycas revoluta Thunb. ノ主幹ハ根廻リ一丈一尺數本ノ太キ枝ヲ分ツ其中ノ最大ナルモノゝ基部ノ周圍八尺四寸ナリ本樹ハ雄株ナリ |
能満寺のソテツ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/07 13:35 UTC 版)
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能満寺のソテツ(のうまんじのソテツ)は、静岡県榛原郡吉田町の能満寺境内にあるソテツである[1]。
概要

大阪の妙国寺のソテツ、静岡市清水区の龍華寺のソテツとともに、日本のソテツの三名木と呼ばれており[2]、1924年(大正13年)、国の天然記念物に指定された[3]。1000年頃、陰陽師として有名な安倍晴明が、能満寺に植えたと伝えられている[4]。
伝説

能満寺のソテツには次のような2つの言い伝えがある。
大蛇とソテツ
安倍晴明が大井川を流れて来た大蛇を見つけ、これを葬り、その上にソテツを植えた。すると、ソテツは、大蛇の精をうけて大きく大蛇のような姿になった。そこで、晴明は、人々に害を与えないように、大蛇の精を封じたと言われている[5]。
泣いたソテツ
駿府城にいた徳川家康が、ある時、能満寺を訪れ、ソテツのみごとさに驚いて、どうしてもソテツをほしくなった。家康の頼みに、住職も仕方なくソテツを掘り起こし、船に乗せて駿府城へと運びこんだ。すると数日後の夜から、毎夜、城の庭で人の泣く声がする。調べてみると、「能満寺へ帰りたい。能満寺へ帰りたい。」とソテツが泣いていることがわかった。家康は後難を恐れ、仕方なくソテツを能満寺へ送り返したという[6]。
所在地
脚注
出典
参考文献
- 三浦直正『静岡県名勝誌』小池直次郎、1903年、171-172頁。doi:10.11501/765050。 NCID BA35987837。 OCLC 672453140。国立国会図書館書誌ID: 000000426709 。2023年4月26日閲覧。
- 静岡県『静岡県治一班 大正14年』静岡県、1926年、116頁。doi:10.11501/917251。 NCID BC18836749。 OCLC 672889250。国立国会図書館書誌ID: 000000539187 。2023年4月26日閲覧。
- 浅井治海『樹木にまつわる物語 : 日本の民話・伝説などを集めて』フロンティア出版、2007年、175頁。 ISBN 9784902410129。 NCID BA83377429。 OCLC 675805787。国立国会図書館書誌ID: 000008798554 。2023年4月26日閲覧。
- 地球の歩き方編集室『御朱印でめぐる東海のお寺』学研プラス、2021年、64頁。ASIN 4058016272。 ISBN 9784058016275。 OCLC 1262944653。国立国会図書館書誌ID: 031472407 。2023年4月26日閲覧。
- アド・グリーン『武将と旅する静岡・浜松・富士・伊豆 : 徳川家康と9人のつわものたち』交通新聞社、2023年、21頁。 ISBN 9784330007236。 NCID BD00668062。 OCLC 1369765368。国立国会図書館書誌ID: 032612522 。2023年4月26日閲覧。
- 齋藤勝裕『ビジュアル「毒」図鑑250種 : 身の周りに潜む美しき毒物たち!』秀和システム、2023年、76頁。 ISBN 9784798069487。 NCID BD01466904。 OCLC 1373378571。国立国会図書館書誌ID: 031286376 。2023年4月26日閲覧。
関連項目
外部リンク
- 能満寺のソテツ - 吉田町
座標: 北緯34度46分44.1秒 東経138度14分53.3秒 / 北緯34.778917度 東経138.248139度
- ^ 地球の歩き方編集室 2021, p. 64.
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