阿波々神社とは? わかりやすく解説

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阿波々神社

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/03 15:29 UTC 版)

阿波々神社

所在地 静岡県掛川市初馬5419番地
位置 北緯34度50分29.02秒 東経138度4分3.53秒 / 北緯34.8413944度 東経138.0676472度 / 34.8413944; 138.0676472
主祭神 阿波比売命
社格 式内社
郷社
創建 736年
本殿の様式 流造
例祭 4月10日
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阿波々神社(あわわじんじゃ、Awawa Jinja)は、静岡県掛川市初馬にある神社粟ヶ岳の山頂付近に鎮座する。

概要

粟ヶ岳山頂から周囲を望む

祭神として阿波比売命を祀り、736年に創建された[1]。阿波々神社の境内には、素戔嗚命櫛稲田姫を祀った八重垣神社も併設されている[1]

周辺は照葉樹林に覆われており、この林は「阿波々神社の社叢」として掛川市が文化財に指定し、天然記念物として保護している[2][3]。また、このの中では大きな岩が散見されるが、それらは磐座として祀られていた[1][3]

沿革

736年の創建以来、延喜式内社に列せられ崇敬を集め、掛川城城主の保護を受けてきた[1]。しかし、戦国時代社殿が焼失してからは、明治年間にいたるまで神社の整備は停滞した[1]。明治に入ると郷社に列せられ、1884年本殿拝殿が改築するなど復興が進んだ[1]太平洋戦争による停滞を挟み、1987年に本殿を山頂に遷座するなど、整備が進められている[1]

粟ヶ岳の無間の鐘

遠州七不思議のひとつにも挙げられ、隣接する無間山観音寺にあった梵鐘である。鐘を撞けば死後に無間地獄に堕ちるが、現世では巨万の富を得られるとされていた。明応のころ、これを憂えた住職が鐘を井戸に沈めたと伝えられており、その井戸が阿波々神社の境内に残されている[1][4]

後世になると、この井戸に折った榊の枝を逆さに投げ入れると、鐘を撞いたことと同じ功徳があるとされるようになった[4]

観音寺は1961年に、掛川市の常現寺へ合祀され廃寺となっている[5]

脚注

  1. ^ a b c d e f g h 由緒』阿波々神社。
  2. ^ 阿波々神社時節の祭御祈祷案内』阿波々神社。
  3. ^ a b 掛川市教育委員会生涯教育課文化振興室文化財係『市天然記念物』掛川市役所、2007年4月1日
  4. ^ a b 東海文学探歩 駿河・遠江篇」国立国会図書館デジタルコレクション
  5. ^ 気まぐれな巡礼案内㉑」遠江三十三観音霊場

関連項目

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