大日本忠孝館道場
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/04 07:24 UTC 版)
徳島にある久武館道場の東京道場。現在の渋谷区上原にあった。剣道(柳生神影流)、居合道(長谷川英信流居合術)、空手道(和道流空手道)を営む総合武道場。館長の久保義八郎をはじめ通常の竹刀剣道の教授として明教中学(現在の東海大学付属浦安高等学校・中等部)の大坪光夫、居合道教授として山内豊健(英信流居合術十八代目 子爵 教士)、空手道教授として大塚博紀(和道流空手道流祖)をはじめ他多数が在籍していた。当時東京在住で通っていた元朝日放送アナウンサーである上田博章の話では、当時は戦時中で大勢の弟子を抱える有名道場だったと振り返っている。故郷の徳島には徳島県護国神社に来国俊作三尺三寸の名刀を昭和14年9月吉日に久武館道場と奉献し当時の徳島新聞に大きく掲載された。また昭和18年2月18日には鳴門市にある阿波神社に名刀を奉献した。居合道教授である山内豊健や空手道教授の大塚博紀は久保義八郎より大日本忠孝館道場で柳生神影流を学び免許を伝授されている。特に現在空手四大流派までなった和道流空手道は柳生神影流の「流す」動きを取り入れて完成されており、終戦前の東京大空襲で消失した大日本忠孝館道場であるがその教えは形を変えて現在まで続いている。
※この「大日本忠孝館道場」の解説は、「久保義八郎」の解説の一部です。
「大日本忠孝館道場」を含む「久保義八郎」の記事については、「久保義八郎」の概要を参照ください。
- 大日本忠孝館道場のページへのリンク