月軌道ランデブーへの支持
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/28 00:58 UTC 版)
「月軌道ランデブー」の記事における「月軌道ランデブーへの支持」の解説
ジョン・フーボルトは月軌道ランデブーの利点を主張した。ルナ・ミッション・ステアリング・グループのメンバーとしてフーボルトはランデブーの様々な技術的側面を1959年から研究していた。フーボルトはラングレー研究所で同様の主張をしていた数名と同じように、月軌道ランデブーは10年以内に月に行くのに最も実現可能な方法というよりも、それが唯一の方法であることを確信した。フーボルトは様々な機会にこの発見をNASAに報告したが、彼がプレゼンテーションをした内部の特別委員会は専断的に確立された基本原則に従っているのだと強く感じた。フーボルトによればこれらの基本原則はNASAの月の任務についての考えを縛り、そのせいで、月軌道ランデブーが公平に考慮される前に除外されていた。 1961年の11月にフーボルトは正規の手順を飛ばして9ページの長さの個人的な手紙を副長官であるロバート・シーマンズに直接書くという大胆な手段をとった。「これはだれも耳を傾けない意見かもしれない。しかし、我々は月に行きたいのか、行きたくないのか?どうして非常に重いノヴァによる計画は簡単に受け入れられて、どうしてランデブーを用いるとはいえ、それに比べてより壮大な点などない計画が追放され、受け身をとらなければならないのか?私はあなたにこのような方法で接触するのが、いくらか正統でないことを十分に理解している。しかし、この論点は我々全員が一般的でない手段を受け入れなければならないほど重要なのだ。」と主張して、フーボルトは月軌道ランデブーの除外に抗議した。 シーマンズがフーボルトの異例の手紙に返事をするのに2週間かかった。シーマンズは「もし適任のスタッフたちが限定的なガイドラインに過度に制限されるのならば、我々の組織や国家にとっては危険なことだ。」ということに同意した。彼はフーボルトにNASAは将来、今までよりももっと月軌道ランデブーに注意を払うことを保証した。 数か月のうちに、NASAは実際に月軌道ランデブーに注目し、そして内外の機関が驚いたことに、ダークホース的候補であった月軌道ランデブーは瞬く間に第一候補になった。いくつかの要因がこの問題に賛成する方向を決定付けた。一つ目に巨大なノヴァロケットを建造するのに必要な時間と資金から、直接降下方式に対する失望が大きくなったことがあった。二つ目に地球軌道ランデブーでさえ、必要とする比較的大きな宇宙船が月に軟着陸するほど巧みな方向転換ができるかという技術的な不安が増加していたことである。 月軌道ランデブーに賛成して主張を撤回した最初の主要なグループはロバート・ギルラスのグループであり、その時はまだラングレーにあったグループだったが、すぐにヒューストンに移った。理解を示した二つ目のグループはハンツビルにあるマーシャル宇宙飛行センターのフォン・ブラウンのチームだった。もともと月軌道ランデブーを支持していたラングレー研究所の面々に加えて、これら2つの強力なグループの意見が変化したことで、NASAの本部の主要な職員、特に長官であり、直接降下を支持していた、ジェームス・ウェッブは月軌道ランデブーが1969年までに月に着陸できる唯一の方法だと考えることとなった。NASAの中から集まった月軌道ランデブーの重要な支持者たちとともに、ウェッブは1962年の7月に月軌道ランデブーを認めた。その決定は、1962年の7月11日に記者会見で公式に発表された。ケネディ大統領の科学アドバイザーであるジェローム・ウィーズナーは頑なに月軌道ランデブーに反対したままだった。
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