月距法の進展
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/31 02:42 UTC 版)
同じ時代、月距法による経度の測定も進展がみられた。月距法で経度を正確に測るには、星の位置を示した星表、測定を行うための観測機器、月の運動を知るための運動理論の3つの改良が必要になる。このうち、星表については、グリニッジの初代天文台長フラムスティードによってまとめられた「ブリタニカ星表」が1725年に出版され、また他の天文学者による貢献もあり、精度を増していった。また観測機器については、1731年にジョン・ハドリーが八分儀を発明した。また、トーマス・ゴドフリも同じ時期に同様の発明を行っている。これにより、以前よりも正確に月の角距離を求められるようになった。 最後の運動理論については、フラムスティードの後任の天文台長であるハレーらも取り組んだが、最終的に解決に導いたのはドイツのトビアス・マイヤーであった。マイヤーは1752年に月と太陽の運動に関する表(月行表)発表し、これを使えば経度法に定める範囲で経度を測定できると思った。レオンハルト・オイラーはマイヤーの表を高く評価し、表の数式化などに協力した。そしてマイヤーは1755年、この月行表を、経度委員であった海軍のジョージ・アンソンに送った。 その後この表はハレーの後任の天文台長であるジェームズ・ブラッドリーの手に渡り、調査が行われた。ブラッドリーは1758年に調査の結果として、この表は2分の1度以内の精度で経度を求めることができると報告した。 こうして月距法に必要な3要件が出そろった形となり、委員会は詳細な審査を開始した。しかし七年戦争などの影響でその裁定は遅れ、マイヤーは結果を待たずして1762年に死去した。
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