昭和天皇との握手
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/01/30 04:23 UTC 版)
「スージー (チンパンジー)」の記事における「昭和天皇との握手」の解説
スージーの名をさらに高めたのは、引退した年、1956年4月20日に昭和天皇が上野動物園を訪問したときに起こったハプニングであった。昭和天皇は1950年11月15日の訪問を最初として、第2次世界大戦終戦後の上野動物園への訪問は合計で6回を数え、このときは2回目の訪問であった。昭和天皇と香淳皇后は、当時上野動物園園長を務めていた古賀忠道の案内で園内を観覧し、野外劇場でのステージで行われた動物たちの舞台を楽しんでいた。ステージの終了後、古賀の先導でサル山方面に向かっていた昭和天皇と香淳皇后一行の前に、白のベレー帽と同色のブラウス、チェック模様の赤いスカートという舞台衣装のままで、スージーが自転車に乗って現れた。当初の予定では、スージーは一行から10メートルほど離れた位置で見送りを務める予定だった。しかし、見物人たちがスージーの出現で大きく道をあけるかたちとなったため、スージーは昭和天皇に近寄っていき、ひょいとその手を差し出した。昭和天皇は一瞬戸惑いの表情を見せたものの、すぐにスージーに手を差し出して、しっかりと握手を交わした。 実は、このハプニングをおぜん立てしたのは当時上野動物園で報道陣の担当を務めていた小森厚(後に多摩動物公園と上野動物園で飼育課長を務めた)であった。昭和天皇と香淳皇后の上野動物園訪問にあたって、東京都の広報担当者が指定した撮影場所は報道陣に不評だった。昭和天皇と動物が一緒にいる場面を撮影したいのに、この場所では昭和天皇の後ろ姿しか写せないというのがその理由であった。小森は報道陣に「よい場所を設定するから、そのチャンスを逃がさないように」と約束した。小森はスージーの飼育係と示し合わせて、自転車に乗ったスージーを昭和天皇一行の前に進めさせた。しかし、スージーと昭和天皇が握手を交わすことまでは小森も予期していなかった。報道カメラマンたちは、絶好のシャッターチャンスを逃がさなかった。昭和天皇とスージーが握手を交わす場面の写真は、その日の夕刊各紙の紙面を大きく飾った。翌日、園長室に前日付の夕刊紙の束を抱えた自転車の製造業者社長が訪れた。紙面には、昭和天皇とスージーの他に、製造業者の名前入りの円板もしっかりと写りこんでいた。社長は大喜びで、「今後、スージー様の自転車は、一切わが社で作らせていただきます」と請け合い、その後スージーの自転車が新調されるたびに、無償で提供されるようになった。 この当時はチンパンジーの性質や凶暴性についてはまだ未解明であり、動物園でもチンパンジーを擬人化して展示したり、観客に直に接せさせたりすることが一般に行われていた。またスージーが雌でまだ幼獣であったことも天覧に至った理由と考えられる。 上野動物園を訪れた昭和天皇・香淳皇后と天皇に近寄るスージーを報じた新聞。この直後に昭和天皇とスージーは握手する 朝日新聞 昭和31年(1956)4月20日夕刊3面 昭和天皇と握手するスージー 毎日新聞 昭和31年(1956)4月20日夕刊7面
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