映像化確立から原作者の死後まで
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「きかんしゃトーマス」の記事における「映像化確立から原作者の死後まで」の解説
1979年、蒸気機関車を特集したドキュメンタリーを製作していたイギリスの放送作家ブリット・オールクロフトがウィルバートと知り合い、『汽車のえほん』の映像化には否定的であったウィルバートを説き伏せる点から制作に奔走。セルアニメーションなどといった映像化方法の中から、予算の面も考慮した上で最も原作の良さを引き出せる映像化法が模索された。最終的に、かつて『サンダーバード』や『キャプテン・スカーレット』といった特撮人形劇に特殊効果スタッフとして携わったデヴィッド・ミットンの案によって鉄道模型を使用した人形劇としての映像化が決定された。デヴィッド・ミットンは第1シリーズから第7シリーズの監督を務めることとなる。その他、クイーンの前身となったバンド、スマイルのメンバーだったことでも知られるティム・スタッフェルが模型製作のチーフとして参加した。 原作絵本執筆当時の鉄道情勢や、ウィルバートが拘った実在するかのように設定される緻密な世界観は、幼児向け番組と言う枠組みの中でも出来る限り尊重された。1983年にパイロット版として原作第8巻「大きな機関車ゴードン」収録話『ちんぼつしたトーマス』を映像化した後に第1シリーズの製作へと移り、1984年10月9日からITVにて放映を開始した。ナレーターに元ビートルズのリンゴ・スターを起用するなど話題も呼び、シリーズ放送終了後に2度の英国アカデミー賞ノミネートを受けるなど、本作は高い評価を受けた。 しかし、テレビシリーズの放送に際しては、出版されたエピソードのみを映像化するという契約で成っていたため、第1シリーズの放送から2年後に制作された第2シリーズの時点で、原作不足という問題が浮上する。ウィルバートとその息子であるクリストファー・オードリーは、テレビシリーズのために新規の作品を書き下ろすなど、協力的な姿勢で本作に関わっていた。しかし第3シリーズにおいて、当時の技術や予算的な範囲で映像化可能な作品が遂に足りなくなってしまう。そこで1991年放送の第3シリーズでは、当時出版されていたマガジンシリーズ(マーベルUK発行)で連載されたオリジナルエピソードを流用して、ブリットとデヴィッド・ミットンが幾つかの物語を執筆し映像化したが、鉄道考証が全く成されていない内容にウィルバートは憤慨する。1994年放送の第4シリーズでは技術の向上により、かつては映像化不可能だった一部の作品群(こうざんてつどう・スカーローイ鉄道)が映像化可能となり、放送ラインナップの大半を占めることとなる。ブリットにより創作された作品は1話のみ挿入されたが、それにもウィルバートは不満の意を述べている。しかし、第4シリーズ放送後の1997年3月21日にウィルバートが死去、それに伴って先述の契約が改定されたため1998年放送の第5シリーズからはテレビオリジナル作品のみでの展開にシフトすることとなる。
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