旧:ジャレコ
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1974年10月3日、株式会社ジャパンレジャーとして東京都渋谷区で創業。創業者は金沢義秋(1945年11月12日 - )。1983年3月に株式会社ジャレコに改称し、世田谷区に本社を移転。 ハドソン、ナムコ、タイトー、コナミ、カプコンとともにファミリーコンピュータの初期サードパーティー6社の一角で、任天堂はこれら6社を優遇していた。 1988年3月にコーポレートアイデンティティを導入した。国際科学技術博覧会でシンボルマークをデザインした田中一光によるもので、三本の波線が入ったロゴとなっている。この波線は「エンタテインメント」「テクノロジー」「クリエイティビティ」を表している。なお、2代目ジャレコになってからはロゴが度々変更されていたが、シティコネクションが権利を取得してからのジャレコ関連製品はこの波線ロゴを使用している。 かつてはアーケードゲームの開発販売やアミューズメント施設「ギャレッソ」「you&you」の運営、一般家庭向けのビアサーバー、JAQNOブランドでのアクアリウム用品も製造販売しており、最盛期には世田谷区新町(国道246号線沿い)に直営店「MIZUKUSA倶楽部」を構えていた。これらはいずれも現在は撤退、業務移管済みである。 2000年に、香港のパシフィック・センチュリー・サイバーワークス(PCCW, 電訊盈科)の買収を受け、社名を「パシフィック・センチュリー・サイバーワークス・ジャパン株式会社」(PCCW Japan)に変更した。 2004年1月25日に、再び「株式会社ジャレコ」に社名を戻した。2005年には、主要株主が香港のPCCWからSandringham Fund SPC Limitedに変更。
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1974年10月 - 「株式会社ジャパンレジャー」として創業(現法人とは別会社。現:EMCOMホールディングス)。資本金300万円。アミューズメント機器の取扱い商社として営業を開始。 1977年 - アミューズメント機器のメーカーとして商品開発、生産を開始。 1983年3月 - 株式会社ジャレコに社名変更。 1985年 - 任天堂ファミリーコンピュータ用ゲームソフトを開発し、販売を開始。その後、1990年(平成2年)にゲームボーイ用、1991年(平成3年)にはスーパーファミコン用ソフトを開発・販売を開始。 1988年9月 - 株式を社団法人日本証券業協会へ店頭銘柄として登録。 2000年10月 - 香港パシフィック・センチュリー・サイバーワークス(PCCW)が株式の過半数を取得し、社名をパシフィック・センチュリー・サイバーワークス・ジャパン株式会社(PCCW Japan)に変更。PCCW Japan名義のブランド名でゲームソフトを販売。 2003年 - 本社を六本木ファーストビルに移転。 2004年 - 社名を株式会社ジャレコに戻す。 2005年 - 主要株主がPCCWから英 Sandringham Fund SPC Limited に変更。赤字の事業を閉鎖し、ゲーム部門の大リストラを行う。その後、日本中央地所の買収による完全子会社化、買収先の投資会社の意向で投資ファンド的な業務形態に事業転換。 2006年 - オンラインゲーム事業への進出を発表。6月、株式会社パンタ・レイ証券を完全子会社化、証券業への参入。
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