旧石器時代・縄文時代・弥生時代
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「近代以前の日本の人口統計」の記事における「旧石器時代・縄文時代・弥生時代」の解説
鬼頭宏の推定人口は、小山修三 (1978,1983年)に依拠している。即ち『全国遺跡地図』記載の都道府県別遺跡数を地域、年代別に振り分けると地域別推定人口に示す表のように纏められる。それぞれの時代が占める期間は、2000年に渡る縄文時代早期を除き、大体1000年前後と見積もられた。また関東地方における遺跡当たりの推定収容人口比は、3世紀から13世紀まで使われた土師器を産出する遺跡1に対して、弥生時代は0.2~0.43(平均約1/3)、縄文時代中期以降は0.1~0.26(平均約1/7)と算出され、縄文時代早期の遺跡規模を1/10と推測した。澤田吾一による奈良時代の関東地方の推定人口94万3300人と関東地方における土師器を産出する遺跡数(5549箇所)の比より、弥生時代に関しては遺跡数に56、中期以降の縄文時代に関しては遺跡数に24、期間が2倍に渡る縄文時代早期に関しては遺跡数に8を乗じた値をそれぞれの時代の推定人口とすることで、縄文時代早期、前期、中期、後期、晩期、弥生時代の推定人口は、それぞれ2万0100人、10万5500人、26万1300人、16万0300人、7万5800人、59万4900人と算出される。 一方時代区分の判明している旧石器時代の遺跡は、縄文早期の遺跡2530箇所に対し、細石器期の遺跡は125箇所、ナイフ型石器期の遺跡数は317箇所、古先土器の遺跡は28箇所である。ナイフ型石器期の旧石器時代は縄文時代早期の10倍の長さ継続していることから、小川修三(1989年)はナイフ型石器期の旧石器時代の人口を2600人(2000~3000人)と推定した。
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旧石器時代・縄文時代・弥生時代
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「湯沢町」の記事における「旧石器時代・縄文時代・弥生時代」の解説
昭和から平成にかけて大規模なインフラ工事の多かった湯沢町では埋蔵文化財の発掘調査も盛んに行われた。 有史以前には町内の川久保遺跡や岩原遺跡などを中心に旧石器時代から人が住んでいた様子が確認できる。 縄文時代には上記の遺跡を含むいくつかのムラがあり、県内の他の地域と同様に火焔型土器を使用する文化があったと見られる。 弥生時代に相当する土器の破片が竜岩窟で見つかっている。
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