旧石器時代以前
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/04 06:26 UTC 版)
万福寺桧山公園西側の隣接地の王禅寺互層は、今からおよそ140万年前の地層と推定されている。王禅寺互層からは、アケボノゾウの臼歯の化石が見つかっている。小田急線沿いの稲田登戸病院付近の崖から、130万年前のトドやアシカの化石が発見されたことからも証明されるように、100万年前には多摩区、麻生区とその周辺はほとんど海であった。多摩ニュータウンから八王子方面にかけては、象が生息できる草原、湿原が広がっていたと推測される。 麻生小学校の隣接地にある柿生M点からは、川崎市内では他に例を見ない貝やサメの歯、カニ、単体サンゴなどの多くの化石が発掘され、多摩丘陵の土台となっている上総層群の研究の発祥地となった。柿生M点は、上総層群が一部露出している地域のひとつであり、海底にあった上総層群が隆起して多摩丘陵の原型が作られたのはおよそ50万年前とも言われている。 多摩丘陵の原型ができてから現在までの間に、川崎市域は大きな海進が3度あったと認められている。1度目の「おし沼海進」は約30万年前に起こり、当時の海岸線は、現在の多摩区菅と宮前区稗原を結ぶ線上付近にあった。2度目の「下末吉海進」はおよそ15万年前から10万年前に発生し、溝口、野川、千年に地層が堆積された。3度目は後述する「縄文海進」である。 川崎周辺で最も古い遺跡は稲城市坂浜の多摩ニュータウン471B遺跡で、6万年前と推定される先土器時代の石器が発見された。東高根森林公園北側の下原遺跡からは、26000年前の打製石斧が発見され、これが川崎市域最古の考古資料となっている。麻生区黒川の黒川東遺跡では24000年前の石刃、掻器などが発見された。
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