旧矢作家住宅(旧所在 山形県新庄市萩野)
名称: | 旧矢作家住宅(旧所在 山形県新庄市萩野) |
ふりがな: | きゅうやはぎけじゅうたく |
名称(棟): | |
名称(ふりがな): | |
番号: | 1752 |
種別1: | 近世以前/民家 |
国宝重文区分: | 重要文化財 |
指定年月日: | 1969.12.18(昭和44.12.18) |
員数(数): | 1 |
員数(単位): | 棟 |
代表都道府県: | 山形県 |
都道府県: | 山形県新庄市大字泉田字往還東460 |
所有者名: | 新庄市 |
指定基準: | |
管理団体名: | |
管理団体住所: | |
管理団体指定年月日: | |
構造形式: | 桁行16.4m、梁間7.8m、寄棟造、北面下屋附属、中門 桁行5.3m、 梁間5.8m、正面入母屋造、西面便所附属、茅葺 |
時代区分: | 江戸後期 |
年代: | 江戸後期 |
解説文: | 山形県下の中門造としてはもっとも古いものに属する。 間取は単純な三間取広間型、 構造は古い形式で丸太状の柱が部屋の中に何本も立つ。 |
近世以前(民家): | 旧目加田家住宅 旧目黒家住宅 旧真野家住宅 旧矢作家住宅 旧矢掛本陣石井家住宅 旧矢掛脇本陣高草家住宅 旧矢篦原家住宅 |
旧矢作家住宅
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/07/02 04:51 UTC 版)
旧矢作家住宅 | |
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所在地 | 山形県新庄市大字泉田字往還東460番地 |
位置 | 北緯38度48分40.4秒 東経140度19分35.2秒 / 北緯38.811222度 東経140.326444度座標: 北緯38度48分40.4秒 東経140度19分35.2秒 / 北緯38.811222度 東経140.326444度 |
旧所在地 | 山形県新庄市萩野 |
類型 | 家屋 |
形式・構造 | 寄棟造/茅葺 |
延床面積 | 桁行(間口)16.4m、梁間7.8m |
建築年 | 江戸時代中期(推定) |
文化財 | 国の重要文化財 |
旧矢作家住宅(きゅうやはぎけじゅうたく)は、山形県新庄市大字泉田字往還東にある古民家。
1969年(昭和44年)12月18日に国の重要文化財(建造物)に指定された[1]。
概要
旧矢作家住宅は、江戸時代中期(18世紀中期)に建てられたと推定される、最上地方の典型的中層農家の住宅である[2][3]。
もとは新庄市萩野地区内に建っており、明治時代と大正時代に改造・増築されたが、新庄市が譲り受けてから1975年(昭和50年)に解体の上、現在地へ移築復元された[3]。山形県内でも古い形式を保っている。
住宅の形態は、日本海側地域によく見られる片中門造りで、馬屋部分が前に張り出す構造をとる。間取りは、土間、まや(馬屋)2箇所、「にわ」と呼ばれる作業場が屋内の中心にあり、奥には「ながし」(台所)がある。建物の中心には「えんなか」と呼ばれる居間があり、床板には囲炉裏が切られ、天井はなく、屋根材が張り出されている。「上のでん」、「下のでん」と呼ばれる寝室があり、「えんなか」より床が高く天井が張られている。庭の裏には豪雪地帯の特徴である冬場の融雪用の池が見られる。
構造形式
- 桁行(間口)16.4m、梁間7.8m、寄棟造、北面下屋附属、中門 桁行5.3m、
- 梁間5.8m、正面入母屋造、西面便所附属、茅葺[1]
利用案内
- 期間限定 4月~11月(冬季閉鎖)(毎週火曜日休家)
- 時間 10:00~16:00 料金 無料
- 駐車場 10台
アクセス
周辺
- 新庄藩主戸沢家墓所(しんじょうはんしゅとざわけぼしょ)
脚注
- ^ a b 旧矢作家住宅(旧所在 山形県新庄市萩野) - 国指定文化財等データベース(文化庁)、2018年9月3日閲覧。
- ^ 旧矢作家住宅(国指定重要文化財) - 新庄市、2018年9月3日閲覧。
- ^ a b 山形県農林水産部林政課『山形の木の文化 第3巻 最上・北村山編』pp. 11 - 13、表紙 - p. 11 (PDF) ・pp. 11 - 20 (PDF) 、2018年9月3日閲覧。
参考文献
- 山形県新庄市発行 重要文化財 旧矢作家住宅のパンフレット
関連項目
外部リンク
- 旧矢作家住宅(国指定重要文化財) - 新庄市
- 旧矢作家住宅のページへのリンク