旧朝鮮銀行の国内残余資産で設立とは? わかりやすく解説

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旧朝鮮銀行の国内残余資産で設立

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/11 07:10 UTC 版)

日本債券信用銀行」の記事における「旧朝鮮銀行の国内残余資産で設立」の解説

前身ともいうべき朝鮮銀行は、1909年11月韓国銀行の名称で設立され1911年8月朝鮮銀行法の公布によって朝鮮銀行改称した以来36年間にわたり朝鮮および関東州における中央銀行としての機能果たしたが、第二次世界大戦終結によって閉鎖機関指定されいわゆる特殊清算進められた。1952年時点70億円の残余資産があった。 1953年7月閉鎖機関改正によって国内残余財産による新会社設立の道が開かれると、鮮銀出身者の間で新会社設立機運盛り上がった。そして最後副総裁清算責任者であった星野喜代治中心となって新会社設立諮問委員会設け、「不動産銀行設立構想打ち上げた。 しかし、大蔵省戦後誕生した銀行経営かんばしくなかったため、銀行合併併合の処理に追われ新銀行の設立当分の間見送ろうというのが基本方針であり、同省のほか、既存銀行はいずれ不動産銀行設立猛反対した。だが、紆余曲折の末、最終的に中小企業向けの長期資金貸付主要業務とし、不動産抵当とするものに重点を置く新銀行を長期信用銀行法基づいて設立することとなった。 これには政治的判断働いたとみられており、設立奔走した4代頭取となる勝田龍夫は父の勝田主計人脈福田赳夫政治家大蔵官僚とも親しく銀行設立岸信介福田後押ししたまた、福田政権ができた時には日債銀は「福田銀行」と揶揄された。 1957年4月1日株式会社日本不動産銀行資本金10億円設立され残余資産から旧職員退職金清算税などを差し引いた額の一部)、初代頭取には星野就任した1957年10月大阪支店開設し以降1964年までに主要経済ブロックに計8支店開設して全国ネット整備し1967年10月には東京都千代田区九段下新本店を建設した。またこの間1964年9月東京証券取引所第2部上場1966年2月に同第1部指定替えとなった

※この「旧朝鮮銀行の国内残余資産で設立」の解説は、「日本債券信用銀行」の解説の一部です。
「旧朝鮮銀行の国内残余資産で設立」を含む「日本債券信用銀行」の記事については、「日本債券信用銀行」の概要を参照ください。

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