旧小西家住宅とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 文化 > 国指定文化財等データベース > 旧小西家住宅の意味・解説 

旧小西家住宅

名称: 旧小西家住宅
ふりがな きゅうこにしけじゅうたく
名称(棟): 主屋
名称(ふりがな): おもや
番号 2396
種別1: 近代住居
国宝重文区分 重要文化財
指定年月日 2001.06.15(平成13.06.15)
員数(数): 1
員数(単位):
代表都道府県 大阪府
都道府県 大阪府大阪市中央区道修町1-6-9
所有者名:
指定基準 (一)意匠的に優秀なもの (五)流派的又は地方的特色において顕著なもの
管理団体名:
管理団体住所
管理団体指定年月日
構造形式 木造建築面積462.4m2、二階建桟瓦
時代区分 明治
年代 明治36頃(1903頃)
解説文: 小西家は,初代儀助安政3年(1856)に京都より大阪道修町出て小西屋の屋号薬種業創業したことに始まる商家である。
 道修町通に南面して建つ主屋は,店舗表屋と奥の居室からなる表屋造の町家である。二代目儀助明治33年から3年歳月をかけて建設した伝える。主屋裏には奥庭挟んで衣装及び二階がある。衣装明治45年の上棟で,三階建土蔵造である。主屋同時期の建設考えられる二階土蔵造である。
 薬品関連商家が軒を連ねた大阪道修町でも,ひときわ大規模な商家であり,主屋良材用いた上質なつくりで,近代大阪町家集大成した和風建築である。
 主屋のほか土蔵等も残り明治末期大店屋敷全体をよく留めており,奥庭を含む宅地も,併せて保存を図る。

旧小西家住宅史料館

(旧小西家住宅 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/10 08:54 UTC 版)

ナビゲーションに移動 検索に移動
旧小西家住宅史料館
情報
旧名称 小西儀助商店
設計者 本間乙彦(意匠)[1]
構造設計者 渋谷五郎(基礎)
構造形式 木造
敷地面積
※約300坪
建築面積
※主屋480m2、衣装蔵39m2、2階蔵48m2、3階蔵45m2
階数 2階
着工 1900年
竣工 1903年
開館開所 2020年
所在地 541-0045
大阪市中央区道修町1-6-9
座標 北緯34度41分19.3秒 東経135度30分24.8秒 / 北緯34.688694度 東経135.506889度 / 34.688694; 135.506889座標: 北緯34度41分19.3秒 東経135度30分24.8秒 / 北緯34.688694度 東経135.506889度 / 34.688694; 135.506889
テンプレートを表示
手前の通りが堺筋、右奥が道修町通、左手前が伏見町通。伏見町通沿いに建つのが左手前の角から奥に向かって衣装蔵、二階蔵、三階蔵。それら以外が全て主屋であり道修町通に面して門口がある。

旧小西家住宅史料館(きゅうこにしけじゅうたくしりょうかん)は、大阪府大阪市中央区船場にある企業ミュージアム、歴史的建造物。旧小西儀助商店(現・コニシ)社屋である。

概要

1900年代に建てられた和風の商家であり、その大部分が重要文化財に指定されている。1996年12月20日に主屋、衣装蔵、二階蔵、三階蔵が登録有形文化財に登録された[2]。また2001年6月15日には、主屋、衣装蔵、二階蔵及び宅地が重要文化財に指定された[3]

長らくコニシないしその関連会社が社屋や事務所として使用してきたこともあり内部は非公開であったが、予てから一般公開を望む声があがっていたこと、2020年コニシが創業150年を迎えることもあり、周年記念事業の目玉として1年の期間と1億円以上の費用をかけて史料館に改修、2020年より一般公開されるようになった[4]

かつて店舗として使用していた建物の前方が展示室となっており、映像コーナーでは企業のあゆみの紹介や、大阪市電が走った頃の風景の動画が映し出される。ほかにも、書院と仏間、苔むした中庭や高い吹き抜けのある台所も見学できる。なお、2階部分は従来通り非公開となっているが、夫人の間や子供部屋のほかに小部屋が多数あり、当時は家族や従業員、女中など50人近くが寝起きしていたと伝えられている[4]

入館料は無料だが見学は完全予約制であり、申し込みはウェブサイトの専用フォームでのみ受け付けている。また、見学は毎週火曜日と金曜日のみとなっている(2021年2月は金曜日のみ)。

歴史

1903年、小西屋(後の小西儀助商店、現コニシ)の屋敷兼社屋として約3年間の工期を経て完成した。敷地面積は約1060平方メートルにも及ぶ[4]。南は道修町通、西は堺筋、北は伏見町通にそれぞれ面した約315坪の敷地に建設され、道修町通沿いに建つ主屋とその東側に建つ納屋、堺筋沿いには貸家、伏見町通沿いには土蔵と納屋、更に主屋の裏には湯殿が設けられた。

主屋は、表通りに面して商いを行う店棟と、その奥にある住まいを中庭で結んだ表屋造と呼ばれるものである。完成当初は主屋の一部が三階建となっており、近代大阪の町屋の特徴である土蔵造、三階建、表屋造を備えていたという。

建築当初は堺筋沿いの歩道の辺りまであったが、1911年8月、堺筋の拡張工事に伴い堺筋に面した約四間分が道路用地として収用された。「軒切り」と呼ばれたこの道路拡張により、その大部分が道路用地となった貸家はそれを機会に撤去され、主屋も西側約3間分が削り取られた。これに伴い伏見町通との角地となった場所に新しく衣装蔵が建てられた。

また1923年に起こった関東大震災を期に、地震への備えとして三階部分が撤去されたことにより、ほぼ現在の外観となった。この時に撤去された三階部分への階段は現在も残されているという。

1971年までは小西家の住宅として使われており住民がいたほか、1994年までは本社として機能し、2019年に改修に入るまでは関連会社の事務所として使われた[4]

脚注

[脚注の使い方]
  1. ^ 大阪市中央区の近代建築 2”. 2009年11月7日時点のオリジナル[リンク切れ]よりアーカイブ。
  2. ^ 第27-0001号(主屋)、第27-0002号(衣装蔵)、第27-0003号(2階蔵)、第27-0004号(3階蔵)
  3. ^ 重要文化財指定により、主屋、衣装蔵、2階蔵は登録有形文化財としての登録が抹消された
  4. ^ a b c d “ボンドのコニシ、旧社屋の明治建築を公開 大阪商人の〝始末〟伝える”. 産経新聞 (産業経済新聞社). (2021年2月12日). https://www.sankei.com/west/news/210212/wst2102120008-n1.html 2021年2月12日閲覧。 

参考文献

  • 谷直樹・山形政昭監修『小西家の佇まい 大阪道修町の商家』コニシ、1998年
  • 「新指定の文化財」『月刊文化財』452号、第一法規、2001年

画像

外部リンク



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「旧小西家住宅」の関連用語

旧小西家住宅のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



旧小西家住宅のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
文化庁文化庁
Copyright (c) 1997-2025 The Agency for Cultural Affairs, All Rights Reserved.
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの旧小西家住宅史料館 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS