日本要人のチュニジア訪問
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/12 04:31 UTC 版)
「日本とチュニジアの関係」の記事における「日本要人のチュニジア訪問」の解説
2018年12月、当時外務大臣を務めていた河野太郎はマグリブ諸国訪問の一環としてチュニジアを訪れ、当時のチュニジア大統領ベジ・カイドセブシやチュニジア首相ユーセフ・シャヘドに表敬、さらにはチュニジア共和国外務大臣(英語版)のハマイエス・ジヒナウイ(英語版)と外相会談を実施した。これは河野太郎にとっては13年ぶり、日本の外務大臣としては2010年の前原誠司以来8年ぶりのチュニジア訪問であった。 2020年12月、外務大臣であった茂木敏充はコロナ禍における数少ないアフリカ訪問先の一つとしてチュニジアを選び(ほかにはモーリシャス、モザンビーク、南アフリカ共和国)、チュニジア国務長官を務めるアリ・ナフティ(フランス語版)と会談して経済協力やリビア・北朝鮮などの情勢について意見交換がなされた。ほかにもチュニジア大統領カイス・サイード、チュニジア首相ヒシェーム・マシーシー(英語版)への表敬も実施され「自由で開かれたインド太平洋」について意見が交わされた。 外務副大臣としては2012年2月に山根隆治がチュニジアを訪問した。これは主要国およびアラブ諸国が情勢不安定なシリアについてを議論する「シリア・フレンズ会合」に出席するためであった。2014年3月には岸信夫がモロッコ、アルジェリアとともにチュニジアを訪問し当時のチュニジア首相メヘディ・ジョアマ(英語版)やチュニジア大統領モンセフ・マルズーキなどの要人と会談を行った。また2017年7月にはチュニスで開かれる第9回日本・チュニジア合同委員会出席のため薗浦健太郎がチュニジアを訪問、これは民主化プロセス終了後初の交流となった。 また友好関係にあることから、外務大臣政務官の往来も多い。2011年10月には浜田和幸が、2014年10月には中根一幸がザンビアとともにチュニジアを訪問している。この訪問は日本がチュニジアの民主化移行プロセスを支援しているためであり、浜田和幸と中根一幸はいずれも新憲法下での民主的な選挙が透明かつ公正な形で平和裡に実施されることを監視する選挙監視団の座長を務めていた。翌2015年3月にはチュニジア・チュニスのバルド国立博物館にて銃撃テロが発生するが(バルド国立博物館での銃乱射事件)、この際にも中根一幸はチュニジアを緊急で訪問している。 そのほか、2008年3月には宇野治外務大臣政務官が経済協力に関する協議のために、2015年2月には宇都隆史外務大臣政務官が民主化移行プロセス完了の祝意のために、2016年12月には滝沢求外務大臣政務官が外交関係樹立60周年を記念して、2018年3月には二国間関係進展のため堀井学外務大臣政務官が、2019年7月には日本の円借款により建設されたラデス発電所の完工式出席のため山田賢司外務大臣政務官が、2019年10月にはチュニジア国民代表議会選挙における選挙監視活動のため中谷真一外務大臣政務官がチュニジアを訪問するなど、緊密な関係が維持されている。
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