日本の外位制とは? わかりやすく解説

日本の外位制

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/20 14:47 UTC 版)

外位」の記事における「日本の外位制」の解説

日本の外位制は、新羅制度をまねて遅くとも天武天皇時代には成立していた(『日本書紀』天武天皇2年6月庚寅673年7月25日)条)が、この外位八色の姓による貴族豪族層の再編成によって一旦は姿を消す事となる。 大宝律令制定時において唐の視品制を参考とする形で復活する日本では五位から初位までの5階それぞれ正従・上下付され合わせて20階で構成された(最上位は外正五位上最下位は外少初位下となる)。 これらは主に地方豪族農民などから郡司軍毅国博士国医師などの地方在庁官人登用された者、及び蝦夷隼人などの有功者を授与対象とした。また、養老6年722年以後には辺境防衛官寺造営のために私財提供したに対して授けられるようになった内位外位最大違いは、内位は主に古くからの有力豪族由来する中央貴族与えられ三位上の公卿昇り顕官に就く事が出来るのは内位与えられた彼らだけであった一方外位叙せられた者は国衙において内位与えられ地方派遣され中央貴族出身国司の元で使役され外位四位以上が無い事でも明らかなように決し内位与えられ中央貴族に取って代わることは出来ないように位置づけられていたのである外位性格画期与えたとされるのが、神亀5年3月28日728年5月11日)の格である。これは中央の官人に対してその出自門地・姓によって正六位上以後昇進経路分けられた上に、外位五位処遇が(同じ名称を持つ)内位五位に対して位田位禄半分規定されるなど、事実上中央貴族留まる層”とそこから”除外される層”に隔離するものとなった。すなわち正六位上から直ち従五位下昇進する者(現代の歴史学者はこれを「内階コース」と称する)、外従五位下昇進する者(同じく外階コース」と称する)、一族内部立場などによって両方可能性がある少数例外同じく内・外両階コース」)に分けられるようになった。これによって内階コース及び内・外両階コースに留まれた姓氏権力中枢構成していた少数留まり大半の者が外階コースとされて、中・下官人として生涯を送る事が決定付けられのである稀に五位上りきって内位従五位下叙せられる例もあったが例外考えてよい。)。これを「内・外階制」あるいは「内・外五位制」などと称する天平17年745年)頃に、内・外階制の整理が行われた結果所属する姓が真人朝臣及び宿禰のうち有力門地大伴氏佐伯氏などが代表例)に内階コース限定してそれ以外宿禰及びそれ以外の姓は外階コースという原則立てられた。 平安時代中期以後外階コース歩む中・下官人層が事実上消滅し外位与えられる例は稀となるが、形式的に室町時代頃までは「外位」の概念残されていたと考えられている。

※この「日本の外位制」の解説は、「外位」の解説の一部です。
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