日本における流行とその後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/03 03:10 UTC 版)
「フラフープ」の記事における「日本における流行とその後」の解説
1958年にアメリカで大流行したことを受けて、同年10月18日に東京都の各デパートで一斉に販売が開始された。積水化学のポリエチレン管をアメリカの会社が加工して逆輸入したもので、価格は大人向けが270円で子供向けが200円。日産2万本のフラフープは、1ヶ月で80万本が売れた。販売される店には行列ができ、日本中で爆発的に売れて一大ブームを起こした。人気のために品薄になり、マルサンなど他社も参入し、小売店が独自にポリエチレンのホースを繋げたものを150円で売ることもあった。 フラフープは美容と健康によいと宣伝されたこともあり、子供ばかりでなく大人もこの遊びに参加して、競技大会も開催された。このフラフープ人気に、日活はフラフープを題材とした映画『月は地球を廻ってる』を1959年1月22日に公開し、日本コロムビアもレコード「フラ・フープ・ソング」を発売した。 しかし、11月18日にフラフープ使用によるとされる胃穿孔で重態になる事件が起き、横浜市と神戸市でも同日に路上のフラフープで遊んでいた子供が交通事故に遭って警察庁もこれを問題視。さらに21日には千葉県で少年3人が腸捻転など内臓障害になったことから、千葉県東金市立東金小学校が11月22日に児童にフラフープ禁止令を出した。宮城県でも教育委員会が警告を出し、厚生省もフラフープと健康障害への影響を検討することになり、ブームは急速に沈静化。40日足らずで1958年の日本のフラフープブームは終焉した。日本中が巻き込まれるブームは1960年のダッコちゃんブームにつながっていった。 腸捻転の事例は大半が千葉県内の特定の病院に集中していた。後日、これらの症状とフラフープの因果関係は科学的に否定されている。2010年11月にはこのことと関連付けて、東金市が市の中央公園にフラフープの記念碑を建てた。 日本ビクターはフラフープの長時間レース用のレコードとして、既存曲をメドレーにして吹き込んだ『これがフラ・フープ!』(演奏:有馬徹とノーチェ・クバーナ、ブライト・リズム・ボーイズ、規格品番:EV-107。A面:「フラ・フープ・メドレー」、B面:「世界一周フラ・フープ」)を発売し、興安丸を貸し切ってのフラフープ大会まで行ったが、ブームが急速に終焉したため当てが外れたという。 1971年にブーム再来を狙い、ハイゼックスを使用し鈴がついたフラフープが発売された。
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