日本におけるコミックソングの歴史
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/12 20:05 UTC 版)
「コミックソング」の記事における「日本におけるコミックソングの歴史」の解説
コミックソングの起源は俗謡に遡ることができる。俗謡は各地で市井の人々が通俗的に歌われる歌である。民謡がその土地に密着し同じ歌詞で伝えられるのに対し、俗謡は歌詞を変え地域を越え、時には専門の歌い手や芸者などにより技巧化され流行する。俗謡にはもともと風刺や猥雑なコミカルなものも多かった。民謡であっても、本歌は変えないまでも、歌詞その物はどんどん新しいものが作られる例も多い。 明治時代には軍隊、工場の労働者や学生の寮など地方から人々が集まる場所で唄われ、替え歌が作られるようになりやがて全国的に広まる。『デカンショ節』や『炭坑節』、21世紀になってもカバーされる『ズンドコ節』、八代亜紀の『舟唄』で引用された『ダンチョネ節』は俗謡を起源とする歌である。 明治時代に流行したものに壮士演歌(そうしえんか)がある。壮士節ともいう。壮士演歌は戦後の演歌とは全く違い、政治や世相を鋭く風刺した歌である。もとは自由民権運動を啓蒙するというまじめなものであったが、面白おかしく歌う者が出て流行する。中でも有名なのは川上音二郎の『オッペケペー節』である。1924年から広島で歌われ始めた『ヨサホイ節(ひとつとせ節)』は、当初はまじめな歌だったが、全国に広がるうち数え歌と結合して、替え歌にされてコミックソングになっていった。他には『宮さん宮さん(トンヤレ節)』などがある。明治の中頃から大正になると地方から都市へ出てきた学生がアルバイトで演歌を歌うことが多くなり書生節と呼ばれた。街頭で演歌を歌う姿は昭和初期までは見られたがレコード盤が普及するにつれ姿を消す。 前述の『オッペケペー節』は川上音二郎一座が1900年に欧米興行を行った際にイギリスのグラモフォン・レコード社にて録音、SP盤で発売された。日本人によるレコード録音最初期の音であるために、この曲が「日本最古のコミックソング」と定義される事が多い。また1903年には徳永里朝が『縁かいな節』の替え歌『ニャンかいな』をグラモフォンに録音している。 大正時代には浅草オペラの劇中歌である『コロッケの唄』や『おてくさん』が、従来の日本流行唄にはない西洋風のコミックソングとして若者に熱狂的な支持を受ける。この流れは昭和初期の二村定一や榎本健一につながる。また後のバラエティ番組にてリメイクされる『パイノパイノパイ(東京節)』『まっくろけ節』などが生まれる。 昭和期になると「流行り唄をレコード化する」のではなく、「レコードから唄を流行らせる」ようになり、多種多様な唄が作られていく。
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