日本で最初の地下鉄道
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/05/23 02:11 UTC 版)
「宮城電気鉄道」の記事における「日本で最初の地下鉄道」の解説
詳細は「仙台駅 (宮城電気鉄道)」を参照 1925年(大正14年)に開業した宮城電気鉄道の仙台駅(地図)は、省線の東北本線との交差のために地下駅として建設された。それに伴い、仙台駅に至る数百メートルの区間も地下路線となっていた。この区間の開業は、日本初の地下鉄とされる東京地下鉄道(現在の東京地下鉄銀座線)開通よりも2年半早く、また郊外電車の地下乗り入れとしても神戸有馬電気鉄道(現在の神戸電鉄有馬線)の湊川地下線開通よりも3年早いものであった。 この地下駅と地下路線の設置は、高田商会が開業前に招聘した外国人技師を現場に案内し、駅を仙台駅東口に設ける計画を示したところ「By tube!」(地下鉄で!)と西口までの線路延伸を強く提案したことが契機で、さらに将来の県庁附近への延伸も視野に入れたものであった。鉄道省としては経験・実績がなく一度は躊躇したものの、新規技術の提案として認めた。結果的にトンネル掘削をした場所は地盤が固すぎる位で、鉄道省の心配した落盤事故は生じ得なかったが、逆に宮城電気鉄道側にしては、予想外に工事費がかさみ苦しい財政状況もあって、駅前のターミナルまで掘り本格的地下駅舎を作る予算がなくなった。やむを得ず、このトンネルが複線断面であることを逆手にとり一線とそのプラットホームをトンネルに設けた結果、地下駅の最初の形態がトンネルの中という形に落ち着いた。 このほかにも宮城電気鉄道では立派な鉄道設備が用いられていた。電化方式には日本では1922年(大正11年)に大阪鉄道(現在の近鉄南大阪線)で使われ始めたばかりの直流1500ボルトが用いられ、レールにはその当時における国鉄幹線級の37キログラム、さらに踏切などではそれを上回る50キログラムのものが使用されていた。加えて色灯式自動信号機が採用されていた。
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