日本で最初の女性博士
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/15 01:12 UTC 版)
それらの研究は、方法、結果ともに日本初のものとして評価され、1927年に47歳で学位論文「日本産の亜炭、褐炭、瀝青炭の構造について」(主論文「日本産石炭の植物学的研究」他8本)により、東京大学から博士(理学)の学位を授与された。この日本初の女性博士の誕生は、東京大学に初めて女子学生が入学するよりも19年も前の出来事であった。学位取得後の取材で保井は、「好きな道をコツコツ歩み、名声を求めず、高い地位も求めず、ただ自分の仕事が後世に残ってゆけばそれだけで満足なのです」と語った。また1929年、保井に続いて 黒田チカが理学博士の学位を取得した時には「学位を取ったからと大騒ぎをして祝賀会をしなければならない現状を情けないような気がする」「学位を有する者が少数だと厄介を感じたりするのであるから、若い人達は折角勉強してどしどし博士になって頂きたい」と語った。 東京帝国大学で石炭の研究を行っていた頃、東京女子高等師範学校では植物細胞学の研究を行い、さまざまな植物の細胞構造を調べていた。次に、植物を用いた細胞遺伝学や比較発生学の分野を研究し、最終的には植物の系統学の進化に取り組んだ。1945年には広島・長崎への原爆投下による放射性降下物の影響を受けた植物の調査を始めた。2度の世界戦争を含む厳しい社会情勢の中で、黙々と研究に打ち込み、1957年までに約100本の学術論文を発表した。
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